2021年4月23日金曜日

炭になっている

積み本がゼロになったのでスマホのKindleに入っているマンガでも読もうと思った。しかし、先日、Kindleがエラーでうまく動かなくなった際にアプリをアンインストール→再度インストールをした結果、スマホの中にマンガが1冊もない状態であった。購入済みのマンガは何度でもダウンロードできるから、今回、お金の心配はしなくていいのだが、あらためてダウンロードしなおすのに時間を要する。


スマホを充電器に挿しながらダウンロードを続ける。この間、何をして過ごそうか。いい機会だからSwitchで最新のモンハンでもダウンロードしようかと思ったが、これだってダウンロードに時間がかかることに代わりはない。こういうとき、ゲームというのはやはり形あるカセットが一番便利なんだよな、ということを考える。ゼルダをダウンロードで買ったのは失敗だった。クリア後、容量を圧迫していたので一時的にSwitch本体から削除したところ、再びダウンロードするのがおっくうでそれっきりやらなくなってしまった。追加コンテンツもあったのに、もったいないことである。


家の中をあさって、マンガを物色。ワンピースやGIANT KILLINGあたりを1巻から読み返せば1日以上つぶすことができるが、今日(日曜日)はこのあと出勤しなければいけないから、重厚なマンガを読み始めてしまうのはもったいない。ぶつぶつと言いながら本棚を漁っていると、一度しか読み通していないハリーポッター全巻が奥のほうから出てきたり、何度も読み過ぎてぼろぼろになっている深夜特急に目がいったりして、だんだん、「ああ、今日はこのまま本棚の整理をして終わるんだろうな」ということを思った。


近頃あまり物語を文章で読んでいない気がする。最後に小説を読んだのはいつだろう? 知念実希人『傷痕のメッセージ』だろうか? いや、カズオ・イシグロ『クララとお日さま』だった。あれはすばらしかったな。たまに小説を読んでそれが「当たり」というのはうれしい。そうだ、ちょっと前には今さらゴールデンスランバーを読んだのだ。あれもまあおもしろかった。


なんのことはない、最近はむしろ小説をよく読んでいる。きちんと思い出したらちゃんといっぱい出てくる。医学書や人文系の書籍も前と同じくらい読んでいるので我ながらいつ読んでいるのかと思ったが、土日に家にいる時間が増えた分、知らず知らずのうちに小説に手が伸びていたのだ。


うっすら気づいていて認めたくないことがある。前のように職場で寝泊まりする元気がない。仕事はすべて以前の10倍以上のスピードでこなせるようになり、クオリティもあがり、空いた時間で次の仕事をすればいいのだろうがそこの気概が落ちている。おそらく人よりは働いているけれど、昨日の自分よりさらに働こうというモチベーションが10年前ほど感じられない。燃え尽き症候群という言葉があるけれど、今のぼくは差し詰め「炭」だ。火が目に見えない状態になり、熱だけを発し続けるような燃え方に変わった。燃え尽きるという概念はしっくりこない、ただ、おそらく生き方というか燃え方は変わった。今までと同じ気分で働いていると、人のために焼き鳥や野菜をあたためようにも網との距離感がイマイチ遠くてなかなか火が通らない、といったことが起こるのかもな、と感じる。遠赤外線で焼くとおいしいんですよ、というシェフの言い分は信用しない。あいつらは「直火焼きチキン」のこともおいしいんですよと言う。


炭といえば竈門炭治郎だ。作中、炭焼きの息子だから料理がうまい、というシーンがある。炭治郎は米もうまく炊けるし料理もいちいち上手だ。ひるがえってぼくは今、炭になった。となると料理がうまくなる必要があるしキャンプの達人であるべきなのだろう。書を捨てて野山に出ろということか。たしかに家で本を読んでいようが外でタープを建てていようが感染の心配はまずない。合理的ではある、ただし、問題は今のぼくの車が中途半端に壊れかけていることと、キャンプ道具がいちいち大がかりな数人用のでかいのしかないこと、そして、まだ北海道は外で過ごすにはきびしい気候だということ。一人用のテントをAmazonでつらつら見ていたら今日の休み時間は終了した。スーツを着て職場に向かう。なぜぼくはZoom会議のためにいちいち出勤しなければいけないのか。複雑な事情が山ほどあり、一部は解消できなくもないんだけれどあきらめて放置している。昔のぼくはこういうところを決して放置しなかった。やはり炭になっている。