2022年8月2日火曜日

病理の話(683) 因果をさぐる難しさ

病理医が顕微鏡で細胞をみることで、わかることは山ほどある。


そこにどんな細胞がいるのか? その細胞はほかの細胞とくらべてどのように違うのか? 組織におけるタンパク質や脂質、水分などの含有割合が正常とくらべておよそどれくらい変化しているか?


こういった「何がどこにどれくらいある」の情報は、病理診断がもっとも得意とするところだ。



一方で、「何がどうなったからこうなったのか」……つまりはメカニズム、あるいは因果関係みたいなものは、一目見ただけで判断するのはとても危険である。



一例をあげよう。



大腸カメラをやって、カメラの先からマジックハンドのような鉗子(かんし)を出して、粘膜を摘まんでとってくることがある。生検という。だいたい小指の爪の切りカスくらい、あるいはその半分とか1/3くらいの小さなカケラをとってくる事が多い。

そうやってとってきた検体の表面に、細菌がついていることがある。これを見て、「ああ、ここに細菌がいるな~」と判断することは間違っていない(あたりまえである)。

しかし、その細菌が「病気を引き起こした原因」かどうかは見ただけではわからない。

大腸カメラでとってきた検体が「がん」だったとする。顕微鏡で細胞を見ればわかる。その「がん」の近くにも細菌がついているケースがある。そこで「あっ、この細菌ががんを引き起こしたのだな」とは、考えない。考えてはいけない。

そもそもがんというのは、最初に体の中に発生してから目に見えるサイズに育つまでに5年とか10年とか、一説によれば20年とかかかっているらしい。昔からそこにあって、じわじわ大きくなって、ようやく大腸カメラで見えるレベルに育ったわけだ。

今その病変をとってきて、そこにいる細菌が、10年前の「発がん」に関わっているわけがない。細菌の寿命は1年もないからだ。



つまり、「そこにいる」は「それが原因である」を示さない。顕微鏡でそこにあるからといって「それが原因だ」と言うのは不正確……というかたいていの場合大間違いである。

がんもそうだが、それ以外の病気、たとえば心臓病とか脳の病気など、命にかかわるような病気は、もともと人体が「重大な病気にかからないためのセーフティシステム」を準備している。細菌とか、化学物質とか、ひとつ、ふたつ取り込んだところで、それらのセキュリティは突破できない。例外として、物理的に体を破壊するとか、強い毒でただちに体のあちこちを溶かしてしまうといった、「セキュリティ関係無しに美術館をぜんぶぶっつぶす」みたいなことがあると突破されるが、そういうわかりやすいものはそもそも顕微鏡でみてどうこう判断するものではない(顕微鏡を使う前にはっきりわかってしまう)。


おわかりだろうか。「顕微鏡で見たらわかった! こいつが単独犯だ!」ということはない。顕微鏡で見なければわからない時点で、そいつの存在は些細なので、ほかの要因と複雑にからみあわなければ病気につながることはないのだ。


以上を踏まえた上で言うと、「顕微鏡を見てわかった、病気の原因はこれ!」と「単独犯」があるかのように書かれた記事、しゃべっている人は、医学を十分に理解していないか、もしくは、意図的に無視している。


では、顕微鏡で見てわからないというなら、「病気の原因」はどのように解明されているのか? たとえば、タバコ。あれが体に悪いというのは、誰がどのような手段で証明したのか?


それは疫学・統計学である。タバコという物質を摂取した人と摂取しなかった人をいっぱい集めて、「割合」を比べるのだ。タバコを吸っていない人10万人と、タバコを吸っている人1万人を連れてきて、それぞれある病気Aにかかった割合をみる。


タバコを吸っていなかった10万人の中に、ある病気Aの人が100人いたとする。

タバコを吸っている人1万人の中に、ある病気Aの人が80人いたとする。


あ、吸ってない人のほうが多い! じゃないのだ

非喫煙者10万人の中の100人といったら0.1パーセント。

喫煙者1万人の中の80人といったら0.8パーセント。

割合を見るのだ。あきらかにタバコを吸っている場合のほうが割合が高いだろう。

こういったデータをさまざまに集めていっぱい検証して、はじめて「タバコは体に悪いんだな」という解釈にたどりつく。



病理医がタバコによって真っ黒になった肺を見ると、「ああ、タバコ吸ってんだな」とわかる。タールなどに含まれる色素が、マクロファージに取り込まれて肺に沈着するので、何年も吸っていればすぐにわかる。

しかし、そこに何か病気があったとして、病気のまわりがタール色だったからと言って「タバコだからこの病気になったのだ」みたいな軽薄なことは、病理医は言わない。言ってはいけない。

それを決めるのは顕微鏡の所見ではないからだ。割合を検索してはじめてたどり着ける。

では、因果を探る上でまるで顕微鏡は役に立たないのかというと……ちょっとここ、難しいのだけれど、そうではない。


「割合を検索したいと思えるような現象」が起こっていることを最初に見つけ出すのは顕微鏡だったりするのだよ。「しっかり研究するためのきっかけ」的な。そのへんのニュアンス難しいんだよなー。