2022年8月16日火曜日

お配分ですわ

壱百満天原サロメ嬢のリズム天国動画をずっと流しながら夏休みを過ごしている。あるいはKindleの中にあるマンガを片っ端から読むなどしている。買っておいたとある人文系の本がはずれだったので、半分くらい読んだ時点であきらめて捨ててしまった。「クオリア」という言葉を雑に使う本はたいてい脳神経科学のことをまるでわかっていないので、ほかにどれだけ見どころがあろうとも読み続けるのが厳しい。でも、ま、そういう本を軽く読み流せることも、ぜいたくな時間の使い方ではある。

今の職場に勤め始めてから最も長い夏休み。JA北海道厚生連から支給されているメールは、職場のファイアウォール下でしか受信・送信ができないので、日頃仕事でこのメールを主に使っているぼくの元には一切メールが入ってこなくなった。この話をするとぎょっとされる。なぜGmailのようにいつでも連絡がつくアドレスを使わないのか、と。逆に質問してみたいものだ、なぜ休み中にメールをチェックしなければいけないのか、と。長期に不在にすると言ってもせいぜい土日から次の土日まで、長くて10日くらいのものだろう。その間の仕事は他のスタッフが代わってやってくださっているし、診断の緊急案件にかんしてはメールではなく電話である。あわててメールをしてくるのはたいてい「原稿絡み」で、10日の余裕がない仕事や問い合わせを振ってくるほうが非常識だ。ぼくは今、締め切りまで1か月を切っているような原稿がひとつもないのだから問い合わせがくることはあり得ない。


などと余裕ぶっていたら、休日2日目にさっそく電話がかかってきて、「昨日メールさせていただいたのですがお返事がなく……」とのことだったのでさっそく苦笑してしまった。とある研究会の運営についての相談であった。すみません、休日だったもので、と答えて手帳を確認してスケジュールを合わせる。電話を切る。まあしょうがない。世の中はフローチャート通りにはいかない。




昔の編集者は大変だった、という話をたまに聞く。締め切りが近づいた著者が雲隠れをするからだ。逃げた先の温泉旅館に追いかけていく編集者、そもそも逃がさないように著者の自宅のまわりに車を停めて張り込むタイプの編集者、著者が原稿を書いているとなりの部屋で、それぞれ違う原稿を取りに来ている他誌の編集者と麻雀をして待つ編集者……。書く/描くということが主に才能(努力する才能を含む)と運に依拠していたころ、書き手/描き手は今より遙かに少なく、一部の著者の「図抜け感」も今よりはるかにすさまじかった。そのような時代には、作家や漫画家が締め切りを多少さぼろうが、非常識に逃亡しようが、出版社は作り手にひれ伏してなんとかなだめすかせて原稿を取るしかなかった。でも今は違う気がする。書き手はいくらでもいる。締め切りが守れない書き手と同じくらい書ける人間を探すのにインターネット・サーフィンで5日くらいあれば事足りる。作品の質だけで作家の信用が担保される時代ではない。今、逃げるのは編集者のほうだ。著者が追いかけて、すがりつかなければいけない。それなのになぜ締め切りを破って平気でいられる?


……というのが昔からのぼくの考え方なのだけれど、これもやはりフローチャート通りにはいかないものである。とかく人間と人間の関係というものは「ひとつの理屈」にはおさまらない。育て甲斐があると感じた著者の「一般に非常識的だとされる部分」に編集者がじっくり付き合う姿をあちこちで目にしてきたし、逆に、編集者の「かたよったこだわり」によってパッと見ポンコツな作家が念入りに愛されるケースもある。


人と人との関係を一義で規定してはいけないように、個人の行動の「原理」もまたひとつには決まり得ない。ぼくが休みの間にメールを見ないことを叱責する理屈も擁護する理屈もあり、いずれも論理的に筋道を通すことができる。だから理屈は行動の理由にはならない。

ぼくが休みの間にメールに反応しなくなった理由もひとつではない。非常識、偏り、気質、偶然、関係性、そういったものが次から次へと流れ込んでくるボウルの中でマーブルカラーのクリームを混ぜていく、抵抗が強い、疲れる、ある時点で「凪」みたいにスンとなったぼくが「あーまあこれでいいかな」と気まぐれで目下の興味関心と行動を掬って絞り込む。絞り出す。この選択がぼくの仕事をどのように良くするかとか、社会のためにどのように貢献するかという打算すら、ボウルに割り入れたタマゴ1個分くらいでしかなく、そこは、配合、さじ加減、レシピ、いずれもエイヤッという感じなのである。

慎重になることも大胆になることも、中央値をさぐることも傾くことも、つまりはそういうことなのではないかという思いが最近強い。「自分なりに説明できる」時点で観察が甘い。判断材料が無限に積み重なっていく途中のどこかで「このへんで……暫定的に……」とやってしまっている。それがけっこういいせん行っている。それが脳なのだと思う。は? クオリア? 雑な命名に踊らされやがって。


壱百満天原サロメのリズム天国は途中で寝落ちして目が覚めてもまだ同じ曲をやっていた。よい夏休みである。