2022年8月15日月曜日

病理の話(687) 虫垂をいつとるか

「虫垂炎」という病気があって、いわゆる「モウチョウ」である。

昔読んだマンガ……ちびまる子ちゃんだったか……とにかく、30年くらい前には、「ちらす」という表現がすでに使われていた。「薬で病気を散らす」という意味である。

で、30年くらい前からあったのだが、最近はこの薬のキレ味がよいためか、かなりの量の虫垂炎を「切らずにおちつかせる」ことができる。



虫垂は人によって大きさや太さが微妙に異なるのだけれども、イメージとしては指の細い女性の小指くらい、と思って頂ければよい。小腸から大腸に入ると、食べ物は上行結腸と呼ばれる部分を文字通り上に向かって進んでいくのだが、下は行き止まりになっていて、この行き止まりの部分にまるで小動物の巣のようにピヨッとくっついているのが虫垂だ。一説によると、この虫垂は「腸内細菌の控えメンバーが待機するベンチ」の役割をしているそうで、げりなどで腸の環境が悪くなったあとに虫垂から元気な腸内細菌が飛び出してきて、また大腸を守ってくれるのだという。

しかし、この、重力に引っ張られる下側の行き止まりに小部屋がある状態は、弱点も有している。食物の食べかすが詰まってしまうことがあるのだ。虫垂も「ぜん動」(うねうね動いて内容物を押し出すこと)をするので、いったん詰まってもまた詰まったものを出すことはできるのだけれども、ときに「糞石」と言って、まるで石のようにカタくなってしまった食べかすが詰まってしまうことがある。

糞石までできてしまうと、なかなか詰まりは解除できない。すると、小部屋の中で、腸内細菌が異常に繁殖して炎症を起こし、虫垂の壁がぼろぼろに攻撃されてしまう。これが「虫垂炎」と呼ばれる状態だ。

虫垂炎が悪化すると、虫垂の壁が破れて、腸内細菌がお腹の中にばらまかれてしまう。すると「腹膜炎」と言って、そのまま放っておくと命にかかわるような重大な炎症につながってしまうので、虫垂の壁が破れる前に治療をしなければならないし、もし破れたら急いで手術をしてボロボロの虫垂を取り除いてしまう必要がある。



「ちらす」は、虫垂の中で増えまくった腸内細菌を倒し、炎症を抑えることだ。炎症さえひいてしまえばまた元通り……だが、忘れてはいけないものがある。「糞石」だ。


「薬で散らす」と言っても、石まで散らせるわけではない。すると次またいつ虫垂炎が再発するかわからない、ということになる。詰まりっぱなしの虫垂は放っておけばまたいつか必ず炎症を起こす。


したがって、今の医療では、虫垂炎に対して「まず薬で落ち着かせて」、「虫垂がほとんど正常に戻ってから、手術をする」というのが一般的である。これを待機的手術という。


患者が病院に来た時点で虫垂が破れていたら、基本的に待機的手術はしない。腹膜炎待ったなしだから急いで手術をする。

けれど、CTや超音波検査などで、虫垂の壁が破れていない、と判断された場合は、最近はほとんどの場合、ちらす。そして待機してから手術、である。



私が病理医として働き始めたのは15年前だ。その頃の虫垂炎は今よりも「ちらさずに手術」する割合が多かった。手術でとってきた虫垂は病理医がみる。虫垂の壁は腫れ上がり、粘膜はぼろぼろにはがれて、なんならどこかに穴が空いているのが普通だ。


しかしここ数年、「ほとんど正常の虫垂」をみる機会が増えた。いったん散らして、炎症がすべて治まってから手術をしている割合が増えたということである。そういうときぼくは、以下のような病理診断報告書を書く。


「Appendix, appendectomy. (虫垂をとりました、の意味)

ほぼ正常の虫垂ですが、一部に軽度の炎症が残存しており、粘膜下層や漿膜下層には軽度の線維化を見る部があります。虫垂炎加療後として矛盾しません。」