2022年8月8日月曜日

病理の話(685) ご本尊が取れていませんよ

今朝も元気にマニアックな話をします。


ゴルフする人いる? ぼくはしないけど。ゴルフってあの砂場あるでしょう。砂場。バンカー。あそこにボールが入るとドボって音がして埋まるよね。


で、その、埋まったボールの周りの砂が、クレーターみたいにふきとぶじゃないですか。あれ不思議だよね。直接ボールが当たってるわけじゃないのにさ。悟空が気を発したら周りがボッって吹き飛ぶみたいなもんでしょう。


ハイスピードカメラで見ると何が起こってるかよくわかるよ。ボールが砂にめりこむ→ボールが当たった部分の砂がまわりに勢いよく押し出される→その砂によって元々あった砂が吹き飛ぶ。つまりはこれ、玉突き衝突みたいになってるわけよね。


で、ですね。


同じことはたとえば、隕石がユーラシア大陸のどこかに落ちました、というときにも起こると思うんだよ。想像したくもないけど。ツンドラの中に隕石が落ちて周りの木や土がなぎ倒されて、それこそクレーターになってしまうことが、あり得るとは思うわけよ。


そこで周りに住んでいた人たちがびっくりして、クレーターに近寄っていく。ああ、ここから土がえぐれている! と。木々がすっかりなくなってしまっている! と。

続いて想像するわけです。「何かが落ちてきたんだな!」「隕石か!」「人工衛星が墜落したのかもしれない!」


しかしこのとき、クレーターの中にはまあ、近寄らないよね。コワイもん。

そして周りだけ見ていると、いつまでたっても、「本当は中に何が起こったのか」はわからないわけじゃないですか。


本当はマッドサイエンティストが盛大に実験に失敗して大爆発を起こしていたのかもしれない。

地球外生命体が恒星間探査機によってやってきて激しく着陸したのかもしれない。そのあたりをよく探すと異形の生命(便宜上の定義)がうようよいるかもしれない。

悟空が修行してるかもしれない。



クレーターの端っこを観察することで、「外周に円形・環状に変化を及ぼすなにかが、中心のあたりにあるだろう」ということはわかるけれど、それが何かは(あたりまえだけど)わからないんですよね。


同じことが病理診断にも言えるんですね。


病気がある部分の、「まわり」にも、いろいろなことが起こるんですよ。

たとえば虫垂炎(いわゆるモウチョウ)という病気があるけど、あれは、虫垂というちっちゃな小指みてぇな臓器にばい菌がついて、炎症(バトル)が起こるんですが、その炎症って虫垂だけじゃなくて、まわりのお腹の壁にも及ぶのよね。とばっちりというか。火の粉が飛ぶという感じで。

ほかにも、たとえば、肺の中にできものができたとする。そのできもののまわりの、「クレーター部分」に、炎症が起こるときがあるわけです。

そこで医者が、「できものの正体を探ろう」と思って、マジックハンド的なもので、細胞をちょんとつまむ。

このとき、周りのクレーター部分をつまんでしまうことがあるんですよ。

すると、「中に何かがあるんだろうな」ということはわかるけど、中心にあるのがなんなのかは、わからないんですね。




いやいやクレーターのへりを調べて満足すんなよ! 真ん中にいけよ! と思うでしょ?


でもね、クレーターって地面に広がってるからいわば二次元ですけど。


肺の中のできものって、そうじゃないんですよね。クレーターというよりもそれこそ、「ドラゴンボールの孫悟空がまとう気(エネルギー)のように、病気のまわり全部になんらかのボワボワした影響が及んでいるわけだよ。


そこをマジックハンドで貫通して中のものだけとってこられるか、って話になってくる。できることはできるんだけど、状況によるでしょう。血が出るかもしれないし。



今日はなんの話かって?


病理診断は細胞を顕微鏡で見て行うんですが、そもそも、「病気そのものをきちんと現した細胞」をとってくることが難しいんだよ、っていう話ですね。


現場では実際に、このような会話がなされている。


「うーん今回の検体、”ご本尊”がうまく取れてないですね。周りしか取れてない。」


ゴルフとか隕石とか悟空の気とか言っても、現場の医者たちはピンとこないから、なんか、わかりやすい言葉がないかなって思って、とりあえず一言でそれとなく伝わる「ご本尊」という言葉を用いています。仏教さすがだよな。