2022年8月18日木曜日

目線をずらす

ホテルの中層階から外を眺めていると、駐車場の地面がみるみる黒く変わっていくのがわかった。しばらく予報を見ていなかったので虚を突かれた。消化試合なのに雨も降ってしまうのか、と思った。

晩飯をまだ調達していない。傘を持ってきていない。体が濡れる分にはかまわないが、服が濡れると明日以降すこし面倒だ。ひとまずすぐ乾くタイプのTシャツに着替えた。スマホで探すとホテルと同じブロック内にコンビニがあるようだ。

ロビーに降りると上から見るよりもしっかり雨は降っていた。5分も歩かずにコンビニには着くだろうがしっかりびしょ濡れになるだろう、店員には妙な目で見られるかもしれない。いや、店員がぼくを見ることなどない。人は人を見なくなった。外で誰かと目が合った記憶がこの2年ほどない。隠しているのは鼻と口元なのだが、合わなくなったのは視線なのである。ときおりこうしてずれる。

果たしてローソンがあり、棚は節電のために暗く、しかもなぜか内側から激しく結露しており中がよく見えなかった。先にいた客がドアをひとつひとつ開けながらお茶のありかを探している。なんとなくそこからも目をそらしてしまう。弁当の売り場を先にあたる。部屋にレンジがついているタイプの部屋に泊まっておけばよかったな、と考える。春巻きが食いたい。すべてノイズにしてそうめんの弁当を買う。温めなくていい。ネギが入っているから野菜の心配をしなくていい。遠くで消防のサイレンが聞こえるなあと思ったら猛スピードで店の前を通り過ぎていく圧にかわった。からあげクンを買い足そうと思ったのに準備されていなかった。

手にしたエコバッグを広げながら会計をしてもらっているのに「フクロは要りますか」と聞かれたのでやはりこの店員はこちらを見ていない。ぼくもレジしか見ていないからお互いさまだ。箸ですか、フォークですかとは聞かれなかった。そうめんとパスタの区別は付くんだなと思った。仮にぼくの見た目が外人だったらフォークですかとたずねただろうか。それとも外人であることに気づかないだろうか。ドライTシャツによれたGUのパンツ、足下だけが革靴。自分に異物感を覚えるのは自分だけだ。誰も見ていない。

コンビニを出ると雨脚が強くなっていた。小走りでホテルに戻ってロビーを通り抜けてエレベーターのボタンを拳の硬い部分で押す。エレベーターを待ちながら、脳内の自分塗り絵のうち、雨に濡れた頭頂部、肩、膝、靴の上面、コンビニで物に触れた右手の指の腹の部分、そして拳が感圧紙によって色を塗られ、これらの場所をあとでよく洗わなければいけないな、と感じる。雨に濡れた部分は汚れたわけではないのだが、混線してしまっている。待てよ、雨は汚れでいいのか? 

「勝利」と書くと「いや、お前の負けだ」という言葉が、「義務」と書くと「いや、自由だ」という言葉が、「ありがとう」と書くと「いや、許さない」という言葉が、「これからがんばろう」と書くと「人のせいにするな」という言葉が返ってくる。いったい何を見ているんだろうと不思議に思っていた。いまは不思議に思わない。何も見ていない。どこも見ていない。必ず目線を少しずつずらしている。目が合わないのだ。それが普通なのだ。「いや、異常である」。