2023年3月3日金曜日

病理の話(752) 専門家マトリョーシカ

病理医という職業はまーまーレアである。日本なんちゃら専門医機構というところが基準を決めて認定する「専門医」なるエラそうな資格のひとつに、「病理専門医」というのがあって、これを持っている人は現在日本全国に2700人くらい。ぼくがツイッターはじめたときは2300人くらいだったはずなのでなんとなく増えてる。超レアってかんじでもない。もっとも、外科専門医だと20000人くらいいる。やっぱレアといえばレアかも。


で、このややレアな病理専門医だが、じつはさらに「専門性」にわかれている。病理医が担当する臓器は全身あらゆる部分であり、脳、皮膚、目、鼻、耳、くち、ノド、食道、胃、十二指腸、胆管、胆嚢、膵臓、脾臓、肝臓、空腸、回腸、虫垂、大腸、肛門、心臓、肺、腎臓、尿管、副腎、甲状腺、唾液腺、膀胱、尿道、子宮、卵巣、精巣、膣、ホネ、筋肉、血液、リンパ節と思い付く限り上からざっと列挙してもこれくらいあって、しかもこれだと胸膜とか腹膜を書き忘れているし、脊髄や神経も忘れててアチャーとなっている。

これらの細胞および病気すべてに詳しいというのはまあぶっちゃけ不可能だ。「昔はぜんぶ見られる病理医がいたぞ!」とかいう話も聞くし、ぼくもたまに言うのだが、昔と今ではひとつの臓器に関する知識の深さが違う。遺伝子検索はおろか免疫染色もほとんどしなかった時代と今とでは話のスケールが異なる。


というわけで、病理専門医の中にもさらに細分化の波がおしよせているのだけれど、この先については「専門医制度」みたいなお墨付きはないのである。なにを言いたいかというと、たとえば、

「認定・胃病理専門医」

とか、

「殿堂入り・脳腫瘍病理専門家」

みたいな称号がないのだ。


自動車免許に例えるとわかりやすいだろうか。普通免許があって、大型特殊の免許がべつにあって、でもその先の重機ごとの認定資格みたいなのは(あるかもしれないけれどぼくは知らないのでいちおう)ない。クレーン専門免許とかフォークリフト達人証明書とかはないということである(あったらすみません)。

医者もこれといっしょで、医師免許があって、病理専門医の認定があるが、その先でどの臓器を専門にしていくかというものに対しては「おすみつき」がない。

だから言ってみれば名乗ったものがちなのだ。

専門領域でいっぱい論文を書いているとか、講演会などでめちゃくちゃしゃべっているなどで、この人がなんとなく専門家っぽいなというのをおしはかることはできる。しかし、人前でしゃべること、あるいは論文を書くことと、「顕微鏡を覗いてそこに潜んだ科学をあますところなく引き出す能力」とが絶対に一致するかというと、どうやらそういうことでもない。


診断がめちゃくちゃすごい病理医というのは確実にいる。専門家の中にいる。しかし、専門家といっても幅があって、「自称専門家」もたまにいて、まあ最低限のクオリティは保っているので患者にさほど悪影響は与えないし、なんなら主治医から見ても「いい病理医だなあ」と思われている人が圧倒的に多いのだけれど、病理医が見るとわかる「真の専門家」みたいな人はそんなに多くはない……いやまあいるけどね。


ところで、臓器ごとの専門性というのはどうやって身につけるのか、あるいはどうやって目指すのかという話もしておこう。

自分が興味のある臓器の勉強をして専門家になっていく?

原則はそうだ。でもちょっと違うニュアンスもある。

どちらかというと、「自分が過ごしている環境にあわせてだんだん決まっていく」というイメージ。カメレオンやコウイカ、ナナフシあたりを想像してもらうのがいい。済んでいる場所の背景色に適応して色彩が変わっていくだろう。病理医もいっしょである。自分がそのとき勤めている病院の「臓器ごとの手術の数」とか、自分が長年世話になったボスのスタイルに似ていくとか、そういう部分でわりと「病理医の一生を鋭く光らせる専門性」というものが受け身に決まっていくことが多い……と思う。


ちなみにぼくの勤める病院では、胃癌や大腸癌、肝臓癌、膵癌、胆管癌、肺癌、乳癌などが多く手術される。ほか悪性リンパ腫とかも多く診断されているし炎症性腸疾患の診断頻度も多い。だからぼくの専門性も自然と胃腸、肝臓、胆膵、肺、乳腺などに偏っていく。ぼくはほかにも興味のある臓器があって、そっちも勉強しようと昔は思っていたのだけれど、やっぱり圧倒的に日々戦っているジャンルにどうしたって強くなる。そして、強くなってきたおかげで、その領域でさらに強く診断している人たちの背中がかろうじて見えるようになり、ああそうか、ああいう場所を目指さないとだめなのかと日々背筋がのびる。