20代から30代にかけて、職場のぼくはいつも皮膚の内側に熱を保っていた。ワイシャツの袖口のボタンを開けて腕まくりをし、放熱しながらでないとキータッチがうまくできない気がしてならなかった。小学生のころに読んだ、「ステゴサウルスの背中のヒレは血液を効率良く冷やすためのラジエーターなのだ!」という記述をずっと忘れずにいた。自分もなんらかの形で熱を逃がさないと、脳がオーバーヒートしてプスンプスンと壊れてしまう、ということを、真偽以前に「当然のこと」として受け入れていた。
学会や研究会など、スーツの上を脱げない場面では、ノドをせり上がってくる熱をそのまま声に変えてしゃべるような感覚があった。せめて足首だけでも外気に触れたいと思って短めの靴下を履いて靴擦れを起こしたりした。熱によって細胞が振動し、汗によって筋肉が円滑になるイメージを、解剖学や生理学を修めたあとも情動の部分で持ち続けた。
それが最近、すとんとなくなった。
今でもたなごころの中に熱い空気を抱えたままキータッチをする感覚は残っている。しかし、長袖を長い袖のまま着て、ときには上からジャケットを着たりもする。暑がりなのは治っていないが、汗は落ち着いた。頻脈は変わらないし毛細血管も拡張しているけれど、前ほど焦燥感が湧いてこない。頸椎症や腰痛ほど厄介ではなく、老化と呼ぶほど切実さもなく、脳を回すためのモーターや空力システムを前ほどあわてて稼働させなくていいだけの話。たったそれだけのことを妙に寂しく思う。この熱がなくなるとぼくはものを考えなくなるのではないか、ということを少しだけ考える。
「雪が溶けて、川となって、山をくだり、谷を走る、野を横切り、畑うるおし、呼びかけるよ、私に。ホイ」
なぜ今、唐突にこの歌を思い出したのか。
本当にふしぎだ。
母親と自分が歌う声である。
幼い頃、買い物の帰り、あるいは幼稚園の帰り、だったのではないかと思うがもはや定かではない。手をつないで雪解けの春をてくてくと歩いて行く道すがら母がよく歌っていた。ぼくは母の手を握りながら「ホイ」のところだけ唱和した。ただそれだけの風景を、急に思い出したのはなぜか、キータッチする手をとめて、しばらく天井を仰いで考える。
むりやりこじつけようとすれば、これはぼくの中の根源的な記憶、「手の中に熱をかかえながら何かを思い浮かべている最初の記憶」なのではないか。たぶん、そういう情緒的解釈で多くの人は納得してくれるのではないか。
しかし自身の中では疑っている。連想とか、カスケードとか、因果としてAからBが導き出された、みたいなのとは違う。今の歌は本当に突然、「なんの脈絡もなく思い起こされた」のである。ラジオのつまみを回してチューニングをしていたら意図せず隣国の放送が紛れ込んだときの驚きに近い。こじつければこじつけただけ、はにかむような淡い喜びの核から半歩ずつ距離をとるようだ。余計な理由を考えるのを直ちにやめてしまう。描写されないままの印象が、ぼくにぼんやりとした理を語る。たなごころの熱を感じながらものを考えることを忘れてはいけない、誰でもなく自分だけは覚えてくり返す。今後、体の熱が総量として目減りしていく中で、きっとぼくの肉体は脳が命じるまでもなく、たなごころの中に熱を保ち続けるように微調整をかけていく。なぜなら、ぼくの脳は手の中とつながっているからだ。脳を活かすために手に熱を持つ。
ま、たぶん、そういうことを自分で考えたくなったから、「ホイ」を思い出させられたのではないかと思う。無意識のほうがよっぽど道理をわかっているなあと感じることがある。