2023年3月22日水曜日

病理の話(758) 論文の手直しを丁寧にやる

浅生鴨さんに聞いた話だったと思うが、原稿を書くときにまずは手書きでしたため、その後原稿用紙をみながらあらためてキータッチでデジタル原稿に起こして入稿するのだという。その「迂回」、確かに効果的だろうなあと膝を打った。

作家の文章は意味だけで成り立っているのではない。フォント、インク、配列、バックグラウンドの素材や色調などと調和して立ち上がってくるものだと感じる。それは読む側にとってだけのことではなく、書くとき、産み出すときにももちろん言えることで、物語や随想が自分を離れて読み手のものになる前に、幾通りもの角度から新鮮なきもちで文体や表現、ニュアンスなどを見返す。それはすごくいいことだなあと思う。

いいことだなあと思うが、同じことを自分でできるかというとなかなか大変だろう。プロとアマの差はこういうところにも垣間見える。

彼はさらに、「縦書き」で書いた原稿をときには「横書き」のフォーマットに変更して見直すようなこともするらしい。アイディア賞だな……と思う。そこで生まれてくる差はでかいだろうなあ。

編集部が文章を組んだ「ゲラ」になると、またひと味違った印象が生まれるだろう。浅生鴨さんに限らずぼくが尊敬する作家はみなゲラをしっかりと手入れする人ばかりだ。ゲラになってからほとんど書き直してしまうタイプの人もちらほらいる。すごいなあと思うしそう簡単には真似できない。

ぼくがこれまで医療系雑誌のために書いてきた原稿、ゲラにはもちろんきちんと目を通すけれど、直したいところがほとんどなくて、そのまま返送することがよくあった。あちこち資料を引用しながら作った学術文章は、学問の部分さえ間違っていなければ、文体や表現方法は半ば業界内で指定・固定されているようなものでいじりようがないし、共著者からの専門的なチェックが終わっている以上、ゲラの段階で大幅に意味を入れ替える必要もない。だからついさらっと流してしまっていた。

しかし、そのような文章が学術誌に掲載され、自分であらためて読者として読みはじめた瞬間、何度も目を通したはずの原稿の表現に引っかかってしまうということが何度か続いた。「わずかに隆起した病変の表面にわずかに黄白色調のドット状の模様が認められ……」。「わずかに」が連続して出てくるし、「黄白色調のドット状の」って助詞が連続していて、なんだか頭が悪そうだ。意味は通る、というかこの通りの所見なのであるから、自分で書いていたときにはあまり問題視しなかったし、内容をチェックした他の医師たちも特に何も言わなかった。でもこの表現のへたくそさ、ゲラの段階で気づきたかったなあ、気づくべきだったよなあ、と肩を落とす。



先日、研修医がWordで書いてくれた論文を投稿前にあれこれ手直ししていた。モニタ上で何度も読み直し、Wordの「校閲機能」(文書のどこをどういじったかのログを残してくれる機能)を用いて手を加えていく。研修医がそれなりの時間をかけて書いた論文であるが、逆に時間をかけて書いたからこそ、冒頭で言っていることと末尾付近で言っていることの「言葉の使い方」が微妙に違っていたり、周囲と議論をして内容を直したはずのところが一部直っていなかったり、参考として提示する写真の掲載順が狂っていたり、「考察」の部分の意味が通りづらかったりといった、内容とは必ずしも関係ない部分が気になる。引用文献の表記が間違っていないかどうかについては特に念入りにチェックする。これを直さなかったからといって、読者が大幅に損をするかというとそんなことはないのだが、今後万が一、私たちの論文を念入りに読んで次の研究につなげたいという人があらわれて、参考文献を読もうとなったときに雑誌の番号やページ数などが間違っていたら困るからだ。どこかの誰かがいずれ困る(かもしれない)ものを世に残してはいけない、だから直す。

自分が読む側であるときには、細部をきちんと整えている雰囲気が論文全体から伝わってくるとき、その著者のことをかなり強く信用する。病理所見の拾い方、写真の撮り方、説明の仕方も大事だがとにかく細かな書式・用語の統一がなされているか、共著者どうしの意図が揃っているか、文献の引用が細やかで丁寧かどうかみたいなところも大事なのだ。書いている内容に嘘がないかどうかについては、本当のところ、ゴリゴリの専門家以外はそうそうわからない。でも、論文の隅々までまちがいがないかどうかチェックするタイプの人は、学問そのものに対してもやっぱり誠実なはずである。

というわけでしっかりと時間をかけてWordファイルに手を加えて、さあこれでもう投稿してくださいねとメールする際に、ふと思い立った。「すみません、二度手間で恐縮ですが、これを直したあと、完成版をあらためて紙に印刷してくれませんか。それを見てもう一度チェックしたいので」。まあ本当に念のためである。研修医は快諾して印刷したものを渡してくれた。一晩寝かせて翌朝、紙をめくりながら論文の「最終稿」を読んでいく。すると……出るわ出るわ、DeepLとgrammarlyの二重チェックをかけたのに間違っている専門用語、文中と図の説明の中で表現が統一されていない部分、写真のDPIが2枚だけどうやら違っているであろうこと。モニタのスクロールと指で紙をめくることはこんなに違うのかとあきれながら細かな誤字まで含めて修正を終えた。今までどれだけ間違ってきたんだろうなあ、と思いつつ、研修医がこれからの人生でぼくよりもっと丁寧に論文を書き続けてくれることを祈る。