2023年3月14日火曜日

網茶

「生茶 ほうじ煎茶」を買ったのだが横に加熱処理と書いてあってどのへんがナマなのだろうと疑問に思った。ラベルをよく読むと「まる搾り生茶葉抽出物」とあって、なまちゃば? では茶葉を焙じていないということだろうか? ではなぜほうじ茶? そもそもほうじ煎茶とは? そういった疑問を全部つきぬけたところに


おいしい


があるのでそれでヨシとなる。


で、まあ、ここで終わると単なるナンクセになるので(Twitterではここで終えたが)、KIRINのホームページに見に行って調べてみると、「棒茶」に加えて「炭火焼きしたほうじ茶の粉」をブレンドしてあるらしい。なるほどそういう工夫をしているのか。だからおいしいのだな。と細やかに納得することができる。


https://www.kirin.co.jp/softdrink/namacha/houji.html


でもそれって生なの? と思わなくもないが、カツオの刺身に生姜を添えて食うとして「新鮮な生魚を食える日本はいい国だよなあ」とつぶやいたとして、フォロワーから「しょうがは生魚ではないのでは?」とつっこまれるとイラッとするだろうし、ま、そこはいいんだろうということにする。でも生茶でそれやっていいの?


https://www.kirin.co.jp/softdrink/namacha/houji.html


結局ぼくがこのお茶を、ローソンの100円ペットボトルではなくあえて少し高いこのお茶をペイペイで購入したのは、「生茶」というロゴの「うまそうさ」に惹かれたからであるから、「なぜ生茶と呼ぶの?」についての最適解はあるいは「おいしいお茶とユーザーとを適切に橋渡しするため」と考えるのが一番いいのかもしれない。ロゴ、デザイン、命名、こういったものが商品のクオリティとは別に……というかクオリティに食い込んでまるごとぼくに飛びかかってきてぼくはまんまとそれにのり、おいしくお茶を飲みながらこうして「なんで生なの?」などと言って時間つぶしまでできているわけで、商品の価値は何倍にも上がった(?)のだからいいではないか、という考え方をする。そのほうがいろいろ楽しくやっていけるよなあと思う。でも生ではないじゃん。



「網タイツ」の人を「生足を出している」と呼んでいいだろうか。「たしかに生足だ」という人と、「それはあくまで網タイツだ」という人がいるかもしれない。皮膚の成分が規則的散在性に表層露出しているのだから「生」感がある一方、総体としての混じり気がある時点で「生足」のゲシュタルトからはかなり離れているのだから生足とは別の「網タイツ」という概念で包含すべきであるという考えがあると思う。生茶にひっかかるのもそこだ。生茶は網タイツではないかと思う。