2023年3月10日金曜日

愛の勝利

「AIよりも日本語がヘタな人」の数がどんどん増えていくのだろうなと思う。おそらくぼくがこれまでブログに書いてきた文章を全部チェックしたら、「てにをは」の間違いはポコポコ出てくるはずだ。となると、ぼくは、すでにChatGPTやBingAIのような言語生成AIよりもヘタクソな日本語を使っていることになる。いまどきのAIは「てにをは」を一切間違わないからだ。AIは、平板で、熱量に乏しく、偏って練り上げた思い入れのようなものが一切感じられないつまらない文章を書くけれど、「てにをは」はぜんぜん間違わない。じつに立派だと思う。


先日、タクシーに載って行き先を告げたら、運転手さんがカーナビに住所を入れ始めた。そしてよく見ると車載のカーナビのほかに、ハンドルの向こうにiPhoneも置いてあって、そちらでもナビがはじまっている(おそらく音声認識させたのだろう)。どちらかだけでいいじゃないか、と思うのだが、おそらくiPhoneだけだと「客から見えない」からダメなのかな、と感じた。古いカーナビの情報では目印となるはずのコンビニやガソリンスタンドがなくなっていたりするし、道だって無駄に細い道に入り込んだりかえって遠回りだったりと、あまりあてにならないところがあり、その点iPhoneのナビのほうが常に地図を更新しているしルートの精度も高いから信用するならiPhone一択だ。しかし、運転手の向こうに隠れて見えづらいiPhoneだけで運転すると、酔っ払った客が運転手にナンクセをつけるのではないか。「おい、俺が普段通らない道を行ったろう、遠回りをしたんだろう」などと。「いえ、ナビ通りですよ」と言っても、酔った客からナビが見えなければ無駄なケンカが長く続く。それを防ぐための、後部座席からよく見えるナビにルートを表示させるという小技なのではないか、と思った。いまどき、人は信用できない。見えないところにある機械も信用できない。AIをこれみよがしにアナログに使う人間が一番信頼されるということだ。


2023年2月時点の言語生成AIは、「正しい言語を用いるが、しれっと嘘をつく」ことで有名である。これもおそらく1年くらいすると別のAIとかけあわされるなどして進化するから時間の問題だろう、などと各方面で言われているが、ぼくは正直、「すぐに進化する見通しが立っているなら進化させてからリリースするだろう」と疑ってしまうタイプであり、じつはこの時点でAIの急成長っぷりはいったん足踏みするのではないかとひそかに思っている。病理AI業界の論文の出し方を見ていると、ちょっとでも新しい技術ができたらすぐに査読「なし」のアーカイブに載せて先行性を主張しつつ、商品としてリリースする際には思い付く限りのチューニングを施して後続組が追いかけてこられないように気を揉むものである。ChatGPTだってBingAIだって「ここから先の進歩は他社には追いつけないスピードで自動的に進める」と思ったからこそ一般公開したのだろう。真に日進月歩の技術は、中途半端な段階でβ版リリースなんてされない(無駄に後発組に勝ちを譲るようなものだからである)。iPhoneのバージョンがあがるたびにSiriが賢くなったか? OK googleがこの1年で爆発的に便利になったか? なっていると言う人もいるが少なくともぼくはそれを感じたことがない。所詮はスマホだとしか思わない。カップ焼きそばをつくるときに3分測らせるだけのために音声認識が活躍している。


ついさきほどタイムラインで、「BingAIはネット検索を取り入れることで情報の正確性をさらに増している」と書いている人がいてまず笑い、次に本気で言ってんのかと眉をひそめた。検索で正しい情報が手に入る領域に留まっているならそれでいいだろう。あるいは、検索の日本語をどんどん正しくして「検索強者」と「検索弱者」の差を縮めることで世の中が進歩すると言いたいのか。ほんとうにそんなに、変わるものだろうか。微妙にニュアンスの違う検索項目が平板化されて特定のURLへの流入が妙に増えるとか、そういうネットの中での変化は起こるだろう。それが「正確な情報を得る役に立つ」と意訳されてぼくの元に届いているのだとしたら、なんとも、わびしいものだ。

さらに「文章の校正をさせるとめちゃくちゃうまい」みたいなことを言う人も多くて驚く。実際に使ってみればわかるが、こんなに引っかかりのない文章ばかりがnoteあたりで量産されたらnote全体の閲覧数はたぶん減るだろう。いや、検索流入のユーザーが増えて、noteの経営側はほくほくかもしれないが、noteを読んで心を動かされるユーザーの数が減るのではないかと心配になってしまう。余計なお世話か。ぼくらは論文みたいな文章ばかり読んで生きていくわけじゃない。AIの文章はつまらない。目が滑る。


……と、ここまで書いて冒頭に戻るのだけれど、そもそも我々の何割が、血の通ったおもしろい、うねりのある、目をひきつけるような文章を書けるというのか。AIが普及しようがしまいが、人間は互いをちらちら見ながら機械的に学習して、けっきょく最大公約数的な文章をつい書いてしまう。「間違いはボコボコ出てくる」「ユーザー数がガバガバ減る」みたいに、通り一遍のオノマトペでブログ記事を書いているぼくが、じつは今日のブログを8割以上ChatGPTに書かせているんだよと告白したところで、誰も驚かないだろう。