2023年3月20日月曜日

ホムンクルスの守備範囲

勉強をしない学生、仕事をしない社会人の話をよく聞く立場である。ほんとうによく聞く。なぜぼくにそんな話をするのだ、と首をかしげてしまうような相手からも聞くし、そりゃ悩みがあったらぼくに言うだろうなあという間柄からも聞く(なんなら話題の一番目や二番目にのぼってくる)。

これはつまりぼくが抽象的な意味での「親」的存在になったことと無関係ではないと思う。

同世代の子どもは中高生くらいに育っていることが多いし、職場ではたいてい管理職で、20代の若者への教育担当でもある。業務関連の能力が洗練されて仕事にかかる時間が短縮されている分、一日の中に占める教育の割合が以前とは比べものにならないほど多い。振り分け、引き受け、見守るのが仕事。

そこで気になるのは、「社会にフルマッチしてばんばんやりたいことをやっている人」よりも、「なにかずっとズレを抱えていてもがいている人」のほうである。それはもう、とうぜんそうなる。


ここで、「ズレたままでもいいじゃない」「生きづらいのは社会のせい、本人は悪くない」とニコニコ話を終わりにできたら、どれだけ楽だろうと思う。それこそ、考えなくてよくて楽だからそういう言動をよく見る。楽なまま生きられたらよいね。楽じゃない部分を誰かに押しつけながら。ちなみに押しつけられる側にいる。


平均的な教育や指導の「道」からはずれがちな人を見て、「はずれたままでいいよ」と背中を押す言論や書籍が横行しているのはなぜか? それはもちろん、実際の現場だと逆に「なんとか元の道に戻ってくれんかなあ」と考えている人の方が圧倒的に多いからである。いかにも寛容さのない職場に思えるけれど、じっくり内情を見てみると、「矯正」にも一理あったりするので難しい。

Twitterを見ていると、世間は以前にくらべてずっと多様な受け止め方をしていて、発達障害的な特性を排除せずに活用することこそが優れた社会であると信じたくなるし商売をやっている人ならプロフにも書きたくなる。しかし現実はもっと煮こごり的で、全く流動性がないわけではないにしろ基本的にはべっとりと固まってプルプル震えていて夾雑物も多い。

ワークスペースフリーでフレックスなベンチャー企業的空間はあくまで実験的な「例外」にすぎない。しかもそういうベンチャーが大勝利しているかというと意外とそうでもなくて、や、「合う人」にとってはいいのだけれど、結構な数の人がなんだかんだ言いながらも定時と定位置と定例会議のある暮らしに安寧の一部を仮託しがちなので、そういうフリーさと「合わない人」がまったく別種の自由さを求めてうろうろしていたりもする。

「形だけでも、建前だけでもいいから、みんなに合わせてくれないか?」と、誰かが誰かに、直接は伝えないにしろ、内心で懇願している。えっ、ひどい、と思うあなたはどの立場で何を見ているのか? 何から目を背けて、誰にやさしくしようとしているのか?


自分をふりかえる。自身の生きづらさに対して「つらいけどそれでも社会になんとか合わせていかないと」という時代の使命感にむりやりドライブされ、かろうじて合わせた……というか「ぎりぎりフィックスできなくはなかった」ぼくは、思春期から青年期にかけての辛くしんどい毎日を辛くしんどいまま通り過ぎて今かろうじてここにいる。さて、仮に生まれるのがあと20年ちょっと遅くて、ネットから「生きづらさを感じてもいいんだよ、そこから逃げて」の大合唱をあびせかけられる状態であったとして、それならぼくは間違いなく今とは異なる何モノかになっていて、知らない場所で全く違う人格で暮らしていたと思うが、その生活における辛さは当時の/今のぼくと比べて果たして軽いだろうか? 「そのままでいい」の声だけが響き、実際にぼくらのために身を粉にして何かを代わりにやってくれる都合のいい人がいるはずもないタイプの地獄において、生きづらい人がいるという事実が多くの人の目に可視化されたのはまあいいにしろ、対策は本質的に難しいし、なまじ希望を感じさせておいてそれっきりという意味で、より複雑な辛さをパラレルワールドのぼくは感じているのではないかと、他人ごと(自分ごと?)ながらその身を案じている。


話をこの世界に戻す。今の自分が薄くコミットする関係性の若者の中にも、サボりぐせと発達障害的な生きづらさの両方を持っている(どちらかだけで説明しきれない)人がいる。具体例をあげたいわけではないので、なんとなくニュアンスを混ぜて架空の人間をこしらえて説明すると、たとえば虚栄心ばかり強く口ばかり達者で仕事のクオリティが低く、じつはスキゾフレニア的にしんどい内面と毎日戦っている人や、多彩な接続先から猛烈な勢いで情報を得ているゆえにいわゆる「定型」に対して平均以上にシニカルな態度をとり続けてしまい、しかし非定型的な部分にいわゆる非凡性があるわけでもないので金銭や地位の評価を得られずに毎日怒りをあらわにする人、みたいな感じだ(あくまでシャッフルした例えではあるが)。「自由意志と責任」でも「器質と不条理さ」でも語れない、絞め殺しの木とその宿主が混ざり合いすぎてどちらが本体なのか遠くから見ていてもわからないような人がいっぱいいる。心底実感する。ただし実感までしかできない。判断や評価は本当に難しい。せいぜい、ここは自分によく似ているなあ、とか、ここは自分にとって不快だなあ、などと自分の視座で独りごちるくらいしかできない。


「叱って矯正できる人なんてゼロだ」「絶対に暖かく見守るべきだ」と信じてやまない教師のもとから小悪党が量産されることがある。大悪党じゃないならいいじゃない? 小悪党までなら許そうという言質にぼくの情動は激しく反発するが、純粋な論理の部分ではそういうこともあるのかもしれないと引き裂かれる。発達障害の名のもとに、未成熟な若者から仕事や学業の「重圧」をきれいに排除した結果、周囲のサポートが得られた30代半ばまではよかったものの庇護する親や上司がいなくなった40代できつくなってしまう人もいる。じゃあどの段階で「世の平均的な負荷」に慣れさせるべきだったのか、仮にそのように「別の選択肢」を選んだところでこの人にがらっと違う人生があり得たのかということをよく考える。二択だろうが三択だろうが十択だろうが人生は言い表せまい。選択じゃなくて終わらない微調整であり、成功/失敗ではなく折り合いがついたかついてないかなのである。固有の人生はあらゆる方向に啓いているべきで、どんな生き方も言祝ぎたいと思うのは本心だ、しかし、職場に病気の証明書を出しつつ別のバイト先で申告漏れだらけの収入を稼ぎ、教育を受ける機会も応召義務もコミュニケーションもすべて放棄して制度の隙間にある権利だけを拾いながら職場を転々としつつ誤診をくり返している医者を野放しにするのは許されることなのかと、裁判官でもないくせに頭を抱える夜もある。



俺だったら……ぼくと似て……私のできる範囲では……。自分という触媒がないと化学反応が進まない小さなフラスコ内実験環境に飛んだ火花は、ガラスの向こうのデスクを決して汚さない。非介入、非選択、それでもなお自分の声の届く範囲で不幸せがひとつでも減るように。ぼくは運良く今こうして書ける場所にいて、運悪くこうしてじくじく悩み続ける脳になったのだ。