要は、AIでいけるやんけ、という話である。
細胞の形を見て、正常の細胞と見比べて、似ているか似ていないか、似ていないとしたらそれはどれくらいかけ離れているものなのかを考える作業を、病理医は「異型を判断する」と呼んでいる。ここでいきなりの専門用語だが、びびる必要はない。異型すなわち異なりの型とは、どれだけ正常の細胞からかけ離れているかを度合いで表すということだ。どれだけ似てますか、似ていませんか、それだけの話だ。
病理医が「これは異常な細胞だな」と判断したあとは、過去に報告されている(教科書などに書いてある)病変と見比べて、またも似ているか似ていないかを考える。正常からのかけ離れを評価しつつ、過去に名前のついた病気と似たところを比べてもいるわけだ。しょっちゅう「似ている、似ていない」ばかりやっている。
これを俗にパターン認識と呼ぶ。
話は突然変わるが、「クイズ王」がやっていることを思い浮かべてほしい。彼らは膨大な知識を集めて覚えているように見えるが、単に頭の中に知識を詰めこむだけでなく、クイズという形式で勝つための訓練もやっている。どういうフレーズで問題文が読み上げられたらどういう質問がされがちか、どういう順番で条件が提示されたらどこで早押しが可能になるのか、といった、「出題のパターン」をいくつもストックしておき、新たに耳に入ってくる問題がそのどれと似ているか似ていないか、という選別を行うことで、単に物知りなだけではなく、それらを人よりも早く気づいて早く答えるという「競技性」に高めていく。我々はそういう姿を見て「すげーな、人間業じゃねーな」と感じて喜ぶわけである。
で、この、パターン認識によって複雑な認識を上手に処理していくというのは人間だけでなくコンピュータが得意とするところだ。知識をたくさん記憶できることよりも、無数のパターンの中からどれに近いかと探り当てる、いわゆる「ひらめき」的な部分でこそ機械は本領を発揮する。
なんでその答えがそのスピードで出てくるんだよ、と我々はクイズ王に驚く。しかし、「なんでこの答えがこのスピードで表示できるんだよ」とPC相手にびっくりする人は最近はほとんどいないのではないか。
さて、病理医が細胞を良性だ悪性だと判断するとき、その根拠が「過去に教科書に書いてあるから」、「昔の病理医がこういうパターンだと悪性だと言ったから」だと、少々さみしい。研修中や若いうちはそれでもいいかもしれないが、そもそも昔の人が見つけたことが今の医学においても成り立つとは言えないので注意が必要だ。
たとえば、昔は今よりも喫煙率が高かったから、肺がんのタイプも「タバコによって引き起こされるがん」の率が高かったのだけれど、最近すこしずつ喫煙者が減って副流煙に触れる機会も少なくなっているから、あと20年くらいすると、タバコ関連のがんはたぶんかなり減るだろう。一方で、肺がんの原因はタバコだけではないので、これからは今以上に「タバコと関係ないタイプのがん」が増えることになる。
あるいは、ピロリ菌のことを考えてみよう。日本で発生する胃炎の多くはピロリ菌の感染と関係がある。しかし、上水道が完備されたことなど複数の原因で、最近の特に若い人の中でピロリ菌の感染率はかなり減少している。では胃炎も激減したかというと、減ったといえばかなり減ったのだが、たとえば痛み止めなどの薬を長期的に飲むことによって生じる別の胃炎なんてものもあるとわかってきた(薬の種類による)。
細胞のかたちがどうだとか、良悪がどうだといった基準は別に時代が変わろうとさほど変わらない……と思われがちだが、じつはそうでもない。人間を取り巻く環境が時代と共に変わることで、「正常」も「異常」もさまがわりする。となると、「昔のエラい病理医が言いました」だけに判断基準をおいかぶせてしまうのはちょっと危険である。
そこで、病理医は、常に「自分がこの細胞はこうだと判断する基準」について考えていなければならない。はっきりした根拠を常に考えておく。その根拠として一番使い勝手がいいのは何かというと、「統計」である。
この細胞が体にある人を「数年黙って見ている」と、高い確率で症状が出るとか、命に危険が及ぶ。そういうことが「統計」の結果でわかっている場合に、(まだ症状が出ていなくて、命に危険がないとしても)ああ、この細胞を見たらもう治療をはじめよう、と、あたかも未来予測をするかのように判断することができる。
根拠として「統計」ほど強いものはないのだ。
話はまたも変わるが、「クイズ王」がやっていることを思い浮かべてほしい。彼らは膨大な知識を集めて覚えているように見えるが、単に頭の中に知識を詰めこむだけでなく、クイズという形式で勝つための訓練もやっている。どういうフレーズで問題文が読み上げられたらどういう質問がされがちか、どういう順番で条件が提示されたらどこで早押しが可能になるのか、といった、「出題における確率」をいくつもストックしておき、新たに耳に入ってくる問題が確率的にどういう答えに結びつきがちか、という感覚を研ぎ澄ませることで、単に物知りなだけではなく、それらを人よりも早く気づいて早く答えるという「競技性」に高めていく。我々はそういう姿を見て「すげーな、人間業じゃねーな」と感じて喜ぶわけである。
で、この、統計によって未来予測を可能にするというのは人間だけでなくコンピュータが得意とするところだ。知識をたくさん記憶できることよりも、無数のデータを総合して統計的にこの先起こることを予測する、いわゆる「予言」的な部分でこそ機械は本領を発揮する。
なんでその問題文と答えがその段階で予測できるんだよ、と我々はクイズ王に驚く。しかし、「なんでこの問題文と答えがその段階で表示できるんだよ」とPC相手にびっくりする人は最近はほとんどいないのではないか。
と、並べてみると、「パターン認識と統計」のふたつでゴリゴリ仕事をしている限り、その仕事はAIにやらせりゃええやんけ、という話になる。
ではクイズ王はAIにとってかわられるのか? そんなわけはなくて、クイズ王というのはアスリートといっしょで「(脳を含めた)肉体をどれだけ鍛えているか」に価値があるのだ。フォークリフトを用いれば300キロのバーベルを上げられるからバーベル選手の存在に価値はないなんて誰も言わないだろう。
では病理医だとどうか? AIにもできる仕事だけど人間がそれをやるから尊敬できていいんだ、みたいなことを、人びとはおそらく言わない。みんな、別に、病理医を尊敬したいんじゃなくて、病気を早く診断して早く治療をしてほしいだけなのだから。したがって、病理医はクイズ王よりも生き残りに必死になる必要がある。……もし、病理医の仕事が「パターン認識と統計を駆使する」だけのことならば。
実際には、病理医の仕事というのは、細胞が何と似ているかという(パターン認識による)現状把握と、その細胞が出たら将来どうなりがちかという(統計による)未来予測だけではない。病理医は常に、病気のメカニズムを解明し、新たな診断や治療の可能性がないかということを、ほかの医者を引っ張る場所で率先して考えている。「まだパターンがわかっていない」病気や、「まだ統計解析に必要なだけの数が集まっていない」病気を前に、このような細胞変化が出るということはいったい何が起こっているのかと、他分野と共同しながら仮説を形成し、推論を実地で検証する、研究者的な仕事が根幹にある。
病理医の場合、日常的にタスクとして行っているパターン認識や統計学的処理の部分をAIにやってもらうことはむしろ「研究にそそぐ情熱をより多く使える」ということになる。AIが、「すでにわかっている部分を用いて」診断をやってくれるというならそれに越したことはない。未解明の部分を切り開いていくほうに全力を出せる、最高ではないかと思う。
そして、かつてまだ世間のAIに対する認識が甘かったときに、多くの内科系医師や外科系医師が「AIによって放射線科医や病理医の仕事はなくなるよな」みたいなことをよく口にしていたのだけれど、彼らの仕事もじつは病理医と同じように、多くの部分でパターン認識と統計に裏打ちされている。それらがまさかAIに奪われるとは思っていなかったんだろうな、というところまでAIに持っていかれる。
では、AIに持っていかれた分の労働時間を使って、今度はどこに全力を出すのか? 病理医は長年そういうことを考えてきた。今のあきらかなAIブームでもあまり驚かずに、「ま、そのうちこうなるとはわかっていたし、ぼくらは大丈夫」と言えるだけの言葉をすでに揃えている。
一方、ほかの科の医師は、最近あまり病理医に向かって「将来仕事なくなるかもね」と言わなくなった。自分たちの仕事がどれだけ奪われるかを今になって実感しはじめ、病理医の世界に目を向けるほどの余裕がなくなってきたのではないかと思う。なあに、心配することはないですよ、その道、我々もすでに通ってきました。少なくとも我々は、コミュニケーションの分野や研究の分野で、つまりAIにはできない部分でこれからも活躍できそうだなという目算を持っています。あなたがたもそういう気分になるんじゃないかと思いますよ。ああ、「内視鏡やカテーテル、外科手術がある限り大丈夫」とか言っている人はあぶないです。そういう手先の仕事については、AIがアシストすることで医師免許の必要性が薄まりますから、アイデンティティを揺るがされて落ち着かない日々を過ごすことになると思いますけれど……。