2018年7月11日水曜日

病理の話(220) 病態生理のいろどり

いまさらだが、「病態生理」の話がおもしろくてしょうがない。

人が苦しんでいる病気を「おもしろい」とはなにごとだ! と怒られるかもしれないのであまりおおっぴらに言いたくはないのだが、人体というものが大変よくできているのとおなじように、病気というのもとてもよくできているのだ。

生命が「なぜこうなっているのか」「どのように成り立っているのか」はワンダーランドだ。本当にすごい。勉強しても勉強しても新しいシステムが出てきて、新しい解釈が生まれて、ほんとうに終わりが無い。最高のエンターテインメントになる。

それとおなじで、かくもすばらしい生命の防御機構をすり抜けてまで「病気」という状態を維持し続ける、病気のメカニズム(病態生理)というものもまたあっぱれなのである。



だから最近ぼくはいろいろと勉強をしている。

日常、なんとなく、「細胞核が大きいから、がんだ」とか、「好中球が多く出現しているから、急性炎症だ」みたいに惰性で診断をしていた自分をグーで殴りながら。





たとえば。

もともと、組織の中には、血管が「目立たぬ程度に、規則正しく、細かく」配置している。

正常の組織を顕微鏡でのぞくと、あまり「血管」は気にならない。

Google mapで、住宅街を規則正しく走行する小路には目がいかないのと同じだ。

普通はまず、家とか大きな建物に目がいくだろう。



しかし、ここに炎症が起こると、小路の中にいっせいに水が流れ込む。

そして、家と家とのすきまがグッ! と広がる。

小路が水によって広がってしまうのだ。

この水の増加によって、小路だったスペースに、大量の炎症細胞が流れ込む。

「炎症」がはじまる。



このとき、顕微鏡で組織をみると、「家と家とのすきまが妙にはっきり見える」ようになる。

すかすかしていて。

そのすかすかの中に、好中球が大量に出現している。

このすかすかを「蜂窩織炎」とか「phlegmonous(蜂巣状)炎症」といったりする。

ハチとかハチの巣という名称が用いられているのは、まさにハチの巣のように間がすかすかになる時期の呼称だからだ。




こういったことを、じっくり、最初から、きっちりと勉強しなおしている。

ぼくよりあとにこの世界にやってくる人に、彩りをそえて病態生理を伝えられるようにしておきたいなと思っている。