2018年7月20日金曜日

病理の話(223) ねえちゃんと診断しようよ

日本病理学会にはコンサルテーション・システムというのがある。

これは簡単にいうならば、

「難しい診断があったとき、言ってよね!

病理学会が専門家を紹介してあげるからね!

お金はかかんないよ!」

というシステムだ。優しい。姉か。



病理専門医はみな日本病理学会の会員なのだが、専門医としてしばらく働くと「学術評議員」になることができる。すでに評議員である2名に推薦してもらえばすぐなれる。だから別に偉いものではない。偉いものではないのだが、評議員になると、病理学会のために学術で貢献しなさいよ、という命令が来る可能性がある。だから評議員というのは基本的にまじめな人が多い(ほかの学会はもう少しなるのが厳しいと思うが……)。

学術評議員になるとき、「自分の専門とする臓器・分野」を登録する。これにより、病理学会は、「ほうほう市原は消化管が得意なのだな。そしてなんだこの画像・病理対比というのは。それは普通の病理医はみんな得意ではないのか。」みたいに、会員の動き(専門性)を把握するのである。

専門的な世界で業績をあげ、論文を書いて有名になると、病理学会が

「よし、あいつは専門家として立派にそだっておるな。では○○の分野で難しい症例があったらどんどんやつに相談しよう。させよう。」

と、専門家とみなす。ぼくはまだみなされていない。ぼくは一生みなされない気がする。なにせ、みなされているのはたいてい、WHO分類に関与するような偉大な病理医ばかりだ。

というわけで、みなされないぼくのようないち病理医は、もっぱら、偉い病理医を「頼るほう」の立場である。

冒頭に書いたコンサルテーションシステムというのは、すなわち、「病理学会が認めた超・専門家」のもとにプレパラートを届けるシステムである。ぼくらはコンサルテーションシステムを通じて、専門家から診断に対する意見をもらえる。





あまりに便利で都合のよいシステムだけれども、気を付けなければいけないこともある。

コンサルテーションシステムは無料だ。コンサルタント(専門家)は、このシステムからは全く収入が入らない。

基本的に善意によって運営されているシステム。つまりはクソである。姉の善意にすがっているナメくさった弟なのである。



まあ、姉にも得がないわけではない。それは、

「全国で難しい難しいといわれた症例がばんばん送られてくるので、難しい症例を集めることができる」

ということだ。難しい症例を多くみれば、それだけ、その分野における専門家としての価値は高まっていく。けれどこれって「勉強になるから黙って難しい症例をみて感謝しろよ」みたいなかんじだ。DV感すらわいてくる。許すまじ。姉を守れ。



そうそう、もうひとつ、注意点。

弟は、姉(コンサルテーションシステム)からもらった回答を、そのまま「診断書」として患者にわたしてはならない。

あくまで診断に責任をもつのは、弟(最初にその症例にぶちあたった病理医)だ。

弟(主治医)が姉(コンサルタント)に責任を押しつけてはいけない。あんないい姉ちゃんに迷惑かけるなんて許せない弟だ。

弟(主治医)は最後まで自分の症例に責任を持たなければならない。姉の意見はあくまで「参考意見」である。それをふまえて診断をくだすのは弟だ。




と、まあ、今のところはこのように、病理学会は姉……コンサルテーションシステムを使って、困難症例に対する救済方法をもうけている。

けれどこのシステムはあと15年くらいのうちに、大きく変わることになる。



プレパラートの画像をPCにとりこんで、オンラインでプレパラートがみられるようになる「デジタルパソロジー」、「ホールスライドスキャンシステム」。

これらが普及することで、病理医はプレパラートの呪縛から解放される。

すると、病理診断は、「全国どこにいても診断可能」になってくる。プレパラートがある施設にこだわる必要がなくなる。

「遠隔コンサルテーション」という概念自体がなくなるかもしれない。だって、プレパラートを取り込んでしまえば、そのデータは世界のどこでみようと等価値なのだから、「施設の主治医」というしばりは必要なくなるのだ。

難しい症例に限らず、あらゆる症例を、世界中に最初から振り分けるシステムが主流になる……かもしれない。

「主治医」が半ばいらなくなり、全例が「専門家へのコンサルト」になることすら可能だ。




これは……夢である。現実ではない。




現実ではないんだけれど、病理医というのは本来それくらいでいいんじゃないかな、という気もする。

全病理医が自分の専門臓器の診断に特化すれば、自分の苦手な分野を診断「しなければいけない」時間が減り、かわりに得意な分野に対する診断、研究、教育に特化することもできる。今以上に基礎研究と臨床診断との両方に手がまわるようにもなるだろう。




……ただ現実はそう簡単にはいかないだろうな、というのもわかっている。

病理をすべてデジタルデータにするというのは実は難しい。一番難しいのは、「デジタルとりこみする前のプレパラート」を誰が作るのか、ということだ。切り出し、染色。ここはどうやってもデジタルデータにはならない。プレパラート情報はいくらでもデジタル化できるが、臓器の肉眼診断や、標本作成作業は、どうしても人の手が必要なのだ。

なんとなく、この「人の手を離れることに対する抵抗」とか、「一部最後まで残ることになる人の部分」が、デジタル診断における無視できない問題として残り続けるのかもなあ、という予測をもっている。




さらには、診断という究極に人生をなぐりつける労働において、「病理の主治医」が不在になることなど有り得るのだろうか……という気もする。

気もするんだけど、ぼくはこのあたり、もっと慎重にぶちこわすべきなんじゃないのかなあ、とも思っている。