2018年7月6日金曜日

一人して流星になったみたい

定期購読を増やそうと思う。

今まで定期購読していたのは「本の雑誌」と「胃と腸」。いとちょう。響きがいいよね。

そして先ほど、急速に気がついた。

雑誌「病理と臨床」を定期購読していなかったことに……。

それは病理医としてどうなんだよ、ということに……。



まあ言い訳をするならば、「病理と臨床」は病院の図書館でも定期購読しているので、図書館に行って読めば金がかからない。

それで十分だと思い、ここまでやってきた。

自分にとって重要な号だけを個人的に買い、それ以外の号はまあ借りて読めばいいや、くらいの気持ち。

けれど、なんだろう。

やはり自分の金で自分のものにした本が、自分の知恵を一番増やすんだぞ、みたいな、ちょっと確実に何かが摩耗したかんじの強迫観念にとりつかれた。

「ああ、病理と臨床を定期購読しなければ!」

ぼくは思わず立ち上がってそうつぶやいた。スタッフがびくっと肩をすくめた。「そういうのは心の中で声を出して下さい」。

恥ずかしさを無視する。

出入りの書店に電話をかける。

「病理と臨床の定期購読をお願いします。」

まさに必要とされるのはこのスピード感であった。




一連の自分の動きがコミカルに感じられた。ちょっと演劇はいってるな、とも思った。

そこまで演出して本を買ったら、もう読まないわけにはいかないね。言い訳はできないよね。

そこまでするんなら読まないとだめだよね。

ああ、いいよ。むしろそうなるように自分を仕向けているんだよ。

……たぶん、これがぼくの無意識が仕込んだ「手段と目的」なのだろうな。





「SNS以後」のぼくは、たまにこれをやっている気がした。

「行動するとき、いちいち他人に宣言しなくていいんだよ。そういうのはかっこわるいよ。」という人もいた。

けれどぼくはそうは思わなかった。

毎日歩いて目を配る。

そこには、膨大な量の選択肢がある。

自分が取り得る行動が、無数に提示されている。目の前を通り過ぎていく。永久に戻ってこない回転寿司だ。

全部の皿を拾って食えるほど胃が強くはないし、寿命も限られている。

そんな中、何かに本腰いれて取り組もうと思ったら、

 宣言して、

 後に引けなくなる、

ことが最も大事だと思ったのだ。

ぼくはそうやって、今までいろいろなことを無理矢理やってきたのだ。







「病理のポータルサイトをいつか作りたいと思っています」と最初に宣言したのはもう数年前になると思う。場所は、Twitterではない、Facebookだったと記憶している。

だからこのたび、開店休業状態だったFacebookページに、突然書き込んだ。

みんなゲラゲラと笑っていた。

 「あいつほんとにやりやがった。」が左大臣。

 「後に引けなくなったんだろうな。」が右大臣。

 「そうやっていっつも大騒ぎして有言実行していけばいいんだよ。」が中央フリーウェイ。



ぼくはそういうやり方を続ける気でいるぞ、と、ここに宣言しておく。