定期購読を増やそうと思う。
今まで定期購読していたのは「本の雑誌」と「胃と腸」。いとちょう。響きがいいよね。
そして先ほど、急速に気がついた。
雑誌「病理と臨床」を定期購読していなかったことに……。
それは病理医としてどうなんだよ、ということに……。
まあ言い訳をするならば、「病理と臨床」は病院の図書館でも定期購読しているので、図書館に行って読めば金がかからない。
それで十分だと思い、ここまでやってきた。
自分にとって重要な号だけを個人的に買い、それ以外の号はまあ借りて読めばいいや、くらいの気持ち。
けれど、なんだろう。
やはり自分の金で自分のものにした本が、自分の知恵を一番増やすんだぞ、みたいな、ちょっと確実に何かが摩耗したかんじの強迫観念にとりつかれた。
「ああ、病理と臨床を定期購読しなければ!」
ぼくは思わず立ち上がってそうつぶやいた。スタッフがびくっと肩をすくめた。「そういうのは心の中で声を出して下さい」。
恥ずかしさを無視する。
出入りの書店に電話をかける。
「病理と臨床の定期購読をお願いします。」
まさに必要とされるのはこのスピード感であった。
一連の自分の動きがコミカルに感じられた。ちょっと演劇はいってるな、とも思った。
そこまで演出して本を買ったら、もう読まないわけにはいかないね。言い訳はできないよね。
そこまでするんなら読まないとだめだよね。
ああ、いいよ。むしろそうなるように自分を仕向けているんだよ。
……たぶん、これがぼくの無意識が仕込んだ「手段と目的」なのだろうな。
「SNS以後」のぼくは、たまにこれをやっている気がした。
「行動するとき、いちいち他人に宣言しなくていいんだよ。そういうのはかっこわるいよ。」という人もいた。
けれどぼくはそうは思わなかった。
毎日歩いて目を配る。
そこには、膨大な量の選択肢がある。
自分が取り得る行動が、無数に提示されている。目の前を通り過ぎていく。永久に戻ってこない回転寿司だ。
全部の皿を拾って食えるほど胃が強くはないし、寿命も限られている。
そんな中、何かに本腰いれて取り組もうと思ったら、
宣言して、
後に引けなくなる、
ことが最も大事だと思ったのだ。
ぼくはそうやって、今までいろいろなことを無理矢理やってきたのだ。
*
「病理のポータルサイトをいつか作りたいと思っています」と最初に宣言したのはもう数年前になると思う。場所は、Twitterではない、Facebookだったと記憶している。
だからこのたび、開店休業状態だったFacebookページに、突然書き込んだ。
みんなゲラゲラと笑っていた。
「あいつほんとにやりやがった。」が左大臣。
「後に引けなくなったんだろうな。」が右大臣。
「そうやっていっつも大騒ぎして有言実行していけばいいんだよ。」が中央フリーウェイ。
ぼくはそういうやり方を続ける気でいるぞ、と、ここに宣言しておく。