2018年7月24日火曜日

病理の話(224) ヒーラの永遠

ぼくらは年老いて死ぬことをできれば避けたいと思うことがある。

まあ必ずとはいわない。年を取るのが自然なことだと悟っている瞬間もある。

ただ、たいていの場合は、できることなら老化は避けたいなあと感じている。それが人というものだと思う。



しかし、人間の体にはときおり、老化(経年劣化)しない細胞というのが出現する。

それは、がん細胞だ。

がん細胞を体の中から取りだして、培養液のなかで上手に育てると、ほとんど半永久的に育てることができる。

普通の細胞だと、そうはいかない。細胞分裂の回数には限りがあり、培養していると最後にはそれ以上分裂できなくなってしまう。分裂できなくなった細胞は、しばらくの間は生存しているが、やがて損傷し、死んでいく。

これは細胞レベルでの老化と呼ぶことができる。

でも、がん細胞は、事実上無限に培養し続けることができる。

世界中の実験室で、今この瞬間も、無数のがん細胞が育てられている。それらは、実験によってさまざまに手を加えられ、刺激を与えられ、薬を投与され、遺伝子をいじられ、光らされ、踊らされ、ゲルの中で泳がされ、溶かされてめちゃくちゃに見られ、とされているが、一部は「またきちんと培養するために」凍結保存されている。

おそらく永久になくなることはない。




1951年、元来は動物学者であったジョージ・オットー・ゲイは、ジョンズ・ホプキンス病院の組織培養研究所にて、ひとりの女性患者から摘出された子宮がんの細胞を培養することに成功した。

歴史上はじめて、人類が「人類の細胞を培養液中で育てた」のである。

この細胞は患者の名前をもじってHeLa細胞と名付けられた。当時の医学では「患者から取り出した細胞は誰のものか」という取り決めすらなかったため、この細胞は患者の了承を得ずに、世界中の実験室で用いられ続けた。まちにまった細胞だった。「ヒト由来の細胞を実験室で培養する」というのは夢の技術だったのである。

ぼくが大学院時代にいたころ、HeLa細胞を使ったことがある。ジョージ・オットー・ゲイの最初の分離からは50年近くが経過し、距離だって何千キロも離れた極東の町に、HeLaはやってきていた。北海道大学の中にあるマイナス80度のディープフリーザーの中で、チューブに入って大事に保管されていた。大学院生たちは分注されたHeLaをときおり溶かしてはFBS培地中で育てて実験に使ったのだ。

この記事を書くためにひいたWikipediaには少々感傷的な文章が載っていた。


”すべてのHeLa細胞は(最初に分離された細胞と)同じ腫瘍細胞の子孫である。これまでに世界中で培養されてきたHeLa細胞の塊の総計は(元の患者の体にあった細胞量)をはるかに凌駕すると推定できる。”



無限に生き続けるHeLa細胞は、しかし、実は完全に元と同じ細胞ではない。

継代(培養を続けること)を繰り返すにつれ、実験室ごとにこまかな遺伝子変異が蓄積し、HeLa細胞はその株ごとに少しずつ異なる形態を示し始めている。実験においては細胞ごとのわずかな違いが結果に影響することがあるから、慎重な研究者達は、よりオリジナルのHeLaに近い細胞が登録してある「セルバンク(細胞銀行)」に保存してあるHeLaの細胞株を買うのだという。



そう、不老不死には弱点がある。永遠に細胞分裂を続ける細胞の中には、DNAの傷やコピーミスが少しずつたまっていくのだ。人間を含めたあらゆる生命は、不老の道を捨てて、有性生殖による繁殖という道を選んだが、これはひとつひとつの細胞があまりに長く分裂し続けることによる

「澱(おり)の蓄積」

を避けたためではないか、と推察することができる。



汚いものをためこんででも永久に分裂しようとする存在こそががん細胞だ。

がん細胞には、いわゆる「散り際の美意識」がない。

だから、我々は、おおっぴらには「がん細胞の無限」をうらやましいとは思わないようにしている。

本当は心のどこかで、「不老、うらやましいなあ」とつぶやいているとしても、だ。