誰にも言えないほどでかい仕事が終わった日。
自分がここまで時間や金や距離や精神などもろもろ全てベットして取り組んできた「本職」を、わずか半日たらずで理解して経験して通り過ぎてしまうほどに、激烈に優秀な人と出会った。
おかげでぼくはなんだかあらためて、悟ってしまったのだ。
「ぼくの仕事を、ぼくがやる必然性は特にないんだな、ということ。
そんなことは誰もが知っている。
誰だって『交換可能』なのだ。
その人でなければいけない根拠など最終的にはない。
それでも、ぼくは、世の中に数十人とか数人というレベルで、絶対にその人でなければ成し遂げられないであろう仕事を請け負った人々をまれにみることがあり、ああ、ぼくもそっち側だったらどんなによかったろう」
と、
未だに悔しがっているのが、ぼくという人間なんだぞ、と、悟ったのだった。
40のおっさんですらこれなのだ。
唯一の価値になりたいという欲望は多くの人が持っている。
その上で、それを知った上で、ぼくはとっくに、「交換可能であってもいい、ぼくがこの仕事をやることで、誰かが、『まあ君じゃなくてもよかった仕事かもしれないけど、君がやってくれてよかったよ』と言ってくれればそれでいい」と、落ち着いた側の人間だと思っていたけれど、
別に落ち着いてなかった。
さあてどうやって落ち着いて新しいことをしていこうかなあ、と考えを切り替える。
すかさず、「新しくなくてもいい、丹念にやれ。」と、脳の別の場所からツッコミがはいる。
そうだなあ、としぶしぶとりかかる。
いつ坊さんみたいになれるんだ?