ついにぼくらの発表の出番がやってきた! といっても病理医の出番は基本的に最後だ。だから最初はヒマである。寝て待っていればいい。
……というわけにいかないので難しい。
まず、担当する症例をもってきた臨床医がひとこと告げる。ビシッとダブルのスーツで決めている。やはり彼にとっても晴れ舞台なのだろう。
「症例は、○○歳の○性(男性 or 女性を告げる)。場所は○○結腸です。ではご読影よろしくお願いいたします。」
彼の出番はこれでほぼ終わりである。そのためだけにダブルのスーツかよ、と思わずつっこみたくなる。
ここから先は、彼とその上司が自分の病院でシコシコ作ったパワーポイントファイルを会場の数百人が眺めながら、最前列で「読影委員」たちが、内視鏡画像の示す意味をひたすら議論し合う。意見は衝突する。がんがでかいのか、小さいのか。深くしみ込んでいるのか、浅いのか。さらには表面の構造の細かな違いから、背景に存在する遺伝子変異までを見通そうとする、マニアックでオタクな一流の読影合戦。
議論が白熱する。病理医であるぼくは、えんえんと、議論の内容を頭に叩き込んでいく。
はじめてこの症例を目にする全国の優秀な内視鏡医たちが、どこに着目して、どこを疑問に思っているかというのを、その場でリアルタイムでなるべく細かく聴き取り、頭の中で再構成して、あとで自分がどうやって「病の理(やまいのことわり)」を解説するかに活かさなければならない。
臨床医A「これは○○病変だと思います、なぜならば最表層においてこのような変化が……」
病理医ぼく「なるほど、最表層の模様についてきちんと言及する必要があるのだな」
臨床医B「しかし病変の不均一性からすると……」
病理医ぼく「なるほど、病変が均一か不均一かをちゃんと読み分けているのだから、病理もそこに着目して解説したほうがよさそうだな」
臨床医C「一見簡単そうに見えますが実は難しい症例で……」
病理医ぼく「簡単そうなのに難しいってなんだよ」
臨床医D「過去にこの会で提示された、○○病院が提唱したこの病気に似ているきがします」
病理医ぼく「やべえ! 過去データ! 検索検索(スマホ高速フリック)」
無言でずっと忙しい。ここで脳が一度死ぬ。
いよいよぼくの病理解説がスタートする。事前にこの症例のプレパラートをみて写真をとり、それをパワーポイントにはりつけて解説を書き込み、巨大スクリーン左右2面にそれぞれ違う写真が出るようにパワポファイルを2つにわけて編集したものを投影する。カウントダウン・クロックの残り時間は……12分! これなら病理解説を5分で終わらせれば十分ディスカッションの時間がとれる。さあ行こう。
マイクの前に立つ。今ぼくは会場で、数百人の聴衆に背中を向けてスクリーンの側を向いているから、きっと、華奢でたよりないシルエットに見えていることだろう。最近すこし太ったけれど。
最前列に座っている大御所病理医達がこちらを……
見 て な い 。 みんなスクリーンを見てる。もうすこしぼくの方みてくれよ、と思わなくもないが、彼らはもう症例のことで頭がいっぱいなのだ。
全員がスクリーンのほうを見ている。だれもぼくの背中なんて見ていないのである。だからぼくもスクリーンに向き合う。症例検討会では、どんなに目立とうとも、どんなにはしゃごうとも、どんなに悔しがろうとも、どんなに恥ずかしい目に遭おうとも、その人の個人的な部分なんて誰も見ていない。とにかく、みんな、症例を見ている。
ぼくは解説をはじめた。
「ご施設での診断を提示します。――私も基本的にはこれと同意見ですが細かい解説を加えます。まず、病変に対して関心領域が4箇所指定されました。この4箇所における病理組織像をご提示しましょう。関心領域Aについてです。対面作成したプレパラートを並べて提示します。拡大を一段ずつ上げていきます――――――」
たった5分だが、1回噛むたびにクレームの電話が5000件くらいかかってくるテレビ局の気分なので、疲労困憊する。遺伝子解析の結果まで含めて、解説はすべて終わった。
前回、約1年前、ここで解説を担当したときには、それこそ病理医からもフロアにいる大御所臨床医たちからもボコボコに攻撃されたものだった。
さあ、今日はどうd……あっ! 知ってる髪型の老人が立ち上がった……!
終わったのか。
ぼくは二度目の精神的な死を悟る。
老齢の伝説はかくしてマイクを持ち、しゃべりはじめた。
「あーよかったと思いますよ。免疫染色についてはこれとこれを追加してください。解釈についてはこういう考え方もありますね。でもあとは同意見です」
\ オオー /
ΩΩ ΩΩ ΩΩ ΩΩ
(脳内観客たち)
一年前のこの会では、「あいつ最近インターネットに忙しいらしいぞ」などの揶揄が聞こえるようにささやかれていたのだが、今回はなんだか全体的に会場があったかかった。モンゴルで病理の講演をしたり、いくつかレビューを書いておいたりしたことが功を奏したのかも知れない。彼らは目に見える業績が少ない若手には厳しいが、それなりに文字を残した中堅にはやさしい。
ぼくの戦いは終わった。どっと汗をかいていた。一緒に発表した臨床医もぺこりぺこりと頭を下げていた。自席に戻って息をつく。5分の発表と5分のディスカッションのために失ったカロリーはたぶん50000kcalくらいあったろう。それにしてはやせない。不思議なものだ。