部屋においてあるアナログな気圧計。
ひんまがったガラスの柱の中に水が入っていて、気圧によって水位が変わる。
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(↑こんなやつ)
おとといと、昨日と今日とでだいぶ違う。
秋はくるくると気圧が変わるんだなあ。
『天気の子』の中で、じいさんが、
「異常気象とか言うけど、こんなの異常気象でもなんでもない。800年とか1000年という周期でみればたいしたことない。」
みたいなことを言うシーンがある。
とってもよく覚えてる。
まあそうなんだよなー、今の気圧計にしてもさ。
天気がほとんど変わらない日でもこれほど気圧がバコバコ変わってるなんてことは、これ、あれだろ、「グラフの縦軸を広げ過ぎちゃったウソ統計学」といっしょだろ。
世界にとってはそれほどの差でもないのに、こうして測定器(のしょぼいやつ)を使っちゃったせいで、細かい差が目に見えるようになって、おかげでぼくは毎日とるにたらない気圧差をみて、「秋は変化がはげしいな」とか言っちゃってる。
「人は、差分を認識できる限りで、『差』を語る。」
可視光の範囲が目によって規定されていたり。
音波と超音波の区別が聴覚によって規定されていたりする。
だからきっと世の中にあるものの中で、「この差はなんとか詰めないとなあ」なんて思うとき、そこにどれだけぼくらの脳が関与しているかを考えるのは、大事なことなんじゃないかなーと思う。