2019年10月9日水曜日

バザールでハザードる

知人の病理医がいい機械を導入したという話を聞いた。すごいおもしろそうだなーとわくわく見ていたら、「市原もやるかい?」と言われて、飛び上がって喜んで、ほくほくと文献を集めた。

「もうちょっとしたら、ぼくらが機械の使い方をマスターするから、そしたらうちにおいでよ。使わせてあげるよ。」

ぼくはそれをとても楽しみに待っていた。

ところがそれを待っている間に、ぼくが激烈に忙しくなってしまった。すごく雑なことをいうと「ツイッター以外なにもできないくらい時間がない」。仕事の合間合間に数秒しか自分の時間がとれない。朝から晩まで、ずうっと何かを書いたり見たり読んだりしゃべったりしていなければならない。

ちょっと計算外のことが立て続けに起こった。いいことばかりではない。まあ悪いことでもないのだが。

新しい研究を始める余裕がなくなってしまった。

……正確には、これでもなお新しく何かを始められる人のことを研究者と呼ぶのだろう。ぼくは研究者にはなれないんだな。

断腸の思いでメールを打つ。

「すみません……こちらから申し上げておいたにもかかわらずどうしても時間がとれないんです。このたびの話はなかったことにさせてください」

本当に残念、歯がみして悔しがる。

メールの最後に「市原真 拝上」とつけて送信するつもりが何の拍子か、「廃城」と変換された。ドイツかどこかの山間部にグレー一色でたたずむ古くさびれた城のイメージが頭をうめつくす。

ちきしょう。




まだ書けないことばかりなのだが、ぼくであるとか、病理学会であるとか、医療界であるとか、そういったものを取り巻く環境がこれから2022年くらいにかけてぐいぐいと動く。

それに向けて、予算を組んで、うちの病院の病理診断科がこの先ちゃんと患者や社会の役に立つためにどういう体勢を取らなきゃ行けないのかを考える必要が出てきた。これは本当に急な話だったので、ぼくはそれまでにノホホンと受けていた依頼を急いで片付けながら、脳の7割くらいを常にそっちに割かないといけなくなった。

てきめんにしわよせが来たのは読書である。

夜寝る前に、ふと息をついて本を読もうと思っても頭に入ってこない。

ツルッ、ツルッ、文字がすべって、目頭あたりからぽとぽとと落ちていく。まったく集中できなくて本をすぐ閉じる。ふとんに入ってさっさと寝てしまう。起きる。まったく寝た気がしないくらい一瞬で朝が来る。おもしれえなあちゃんと疲れは取れているよ。腰も首も昨晩よりかなりいい。けれども文字に対する疲れだけがどうしてもとれない。

目覚めて意識が開門すると、城門の前に多数の「案件」が並んで待っていて、ソレッとばかりに脳の中に入り込んでくる。朝ご飯を食べているころにはもはや脳の中はバザールみたいになっている。これが夜までずうっと続く。

なおぼくは最近、忙しくなってから、なぜかかつての10倍くらいの分量の文章を書いている。たぶん、るつぼみたいになった脳の中から、整理が終わって出荷できるものをどんどん外に出していかないと、市場がストップして何か大変なことになってしまう、みたいな強迫観念がある。だから出す。出せッ大泉君。

たぶん文章を見ている人たちは、ぼくが今、空前絶後にヒマなんだろうと思うに違いない。

たしかに心臓外科医とか脳外科医の考える「忙しい」はぼくには全くあてはまらない。SEのいう「忙しい」も、電通職員のいう「忙しい」も、政治家のいう「忙しい」も、芸能人のいう「忙しい」も、ぼくにとっては無縁だ。まったくみんながんばって欲しいと思う。ぼくはいっぱい食べていっぱい寝ている。ツイッターもするし。ブログも書くよ。





でもぼくは小声でいうならば今、脳が忙しい。脳は商売道具なのに、研ぐ暇も無い。きっと今本をあまり読めていないことが、1年後くらいにダメージとなって返ってくるだろう。早くヒマにならないかなあ。

以上をツイッターに書くと「これ以上ヒマになりたいのかよ」と笑われるけれど、正直、ぼくは今、誰かが笑ってぼくを見てくれることが愛おしい。