2019年10月1日火曜日

このままどこか遠く連れてってもらった先

月曜日が祝日、というのが2週間続いた。「火曜日に月曜日っぽく働く週」が2回連続でやってきたということになる。




ぼくは火曜日が好きだ。

朝は6時に、dマガジンが更新されて、SPA!の最新号が読める。

SPA!には燃え殻さんの連載『すべて忘れてしまうから』があるから、これを読む。

まずはピンチで画面を拡大して、燃え殻さんの手書きのタイトルをスマホの画面に大写しにする。そしてスクリーンショットをとる。

それをタイムラインに流す。今から読むぞサインだ。

著作権とかいろいろ怒られるかもしれない。怒られたら誤っていくばくかのお金を払ってもうしないよ、と言うだろう。でもたぶんこれくらいなら許してくれると思う。

これくらいを許してくれる世界でやっていきたい。

今から読むぞサインをツイートしたらあらためて、読む。

ぶっちゃけあっという間に読み終わるくらいの分量だ。けれども、ぼくはその「あっという間」に、一週間のテンションを依存している。

文章というのは不思議だな。もう腐るほど言われてきたことだけれど、たとえば俳句で宇宙を語ることができるのと同じようにで、SPA!の燃え殻さんの1ページの中には時間軸がねじ込んである。

燃え殻さんのページを読んだらそのまま仕事を始めてしまうことが多い。ほかのページまで読むかどうかは気分次第だ。

グラビアなんかはまず見ない。ああいうのはスマホで見ても何がいいのか全くわからない。

……中学生ならわかるのだろうか?




そしてしばらく働いて夕方になると、今度は、大学院時代の先輩が、ウェブラジオ『いんよう!』を更新する。だいたい夕方7時くらいのことが多いが、先輩の都合次第のようだ。

更新告知にすぐ気づくことはあまりない。たいてい、ガリガリ働いていたり、何事か書いていたりする。

で、1時間遅れくらいで気づいて、たとえば帰宅する車の中で、スマホから流してそれを聞く。

1か月くらい前の自分が、未だに聞き慣れない声を出して、先輩の声とぶつかりあっている。これがなんともしみじみおもしろくて疲れが取れる。

会話の内容がおもしろいというよりも、たかだか数週間前の自分がここまで突飛なことを考えているのかよ、と気づけることがおもしろい。まあ先輩と話しているときのぼくを、孤独な最中のぼくが聞いたら、おもしろいに決まっているのだ。




そんなこんなで火曜日を毎週楽しみにしているのだけれど、月曜日が祝日である、くらいの軽い負荷を脳にかけるだけで、途端にその楽しみを両方すっ飛ばしてしまうことがあり、我ながら呆れる。

一日何度もカレンダーを見ていて、今日が火曜日だから生検の当番が誰だとか小物の切り出し当番が誰だとかと、幾度となく会話しているのに、火曜日の大事な行事をコロッと忘れる。これはいったいどういう了見なのだろう?

「体内時計」のように、「体内カレンダー」があるとしたら、そのカレンダー、どうも睡眠とか空腹では動いていないようだ。たぶん、「月曜日の仕事」というのがトリガーになっている。

つまりぼくは働くことでカレンダーをめくる、働く日にちがずれると、カレンダーがうまくめくれなくなる、そういうことなんだろう。




火曜日にはほか、マツコの知らない世界というコンテンツがある。そのせいか、火曜日に限っては、ぼくの頭の中にはいつもそこそこ決まった順番でメロディが流れている。

朝から夕方まではたいてい、クリープハイプの曲がどれかかかる。小沢健二のこともある。

夕方くらいになると、かつてリスナーが「森の中から二人がやってきておしゃべりをして、また森の中に戻っていくような音楽」と称した、『いんよう!』のBGMがかかる。

そして夜、寝る前には、マツコの知らない世界のジングルがずっとかかる。




音楽がある一日は楽しい。火曜日よりの使者、という曲を誰か歌ってくれないだろうかと、今、ふと思った。ハイロウズのアナログレコードを買った日のことは、遠く昔にぼやけてしまった。あのころの火曜日は、何もなくて、つまらなかった。今が一番いい。