2019年10月12日(土)。ぼくは北九州市の産業医大に向かった。
目的は学術講演。産業医大の主催する学会で特別講演枠をもらっている。
タイトルは「医療とAIの今後 ~病理医の仕事はなくなるのか~」であった。
この日、2019年最強とよばれた台風19号が列島を直撃する予報が出ていた。日本のあちこちに甚大な被害をもたらした例のやつである。
台風は結局、関東から東北をなめるように進んだわけだが、講演の前日くらいまでは進路が読めなかった。ぼくは、「さすがに今年はたどり着けないかもなあ」と思った。
毎年1,2回くらい、台風のせいで出張の予定が変更になっている。去年は高知出張で朝の飛行機を早い便にずらしてぎりぎり帰ってきた。また、大分出張のときは台風接近により研究会自体が中止になってしまった。おととしは熊本で講演したあとに懇親会に出ず羽田にとんぼ返りしてそこで一泊し、翌朝の早朝便でなんとか新千歳に帰ってきた。
講演会場に到着できないときもあるし、講演できたはいいが帰ってこられないこともある。出張が多い人は、きっと強くうなずいてくれることだろう。
ぼくは札幌市に住んでいるから、西日本の出張では飛行機の乗り換えが普通だ。乗り換えがある出張だと、(1)出張先、(2)乗り換えの羽田や大阪、(3)新千歳空港 の最低3箇所の天候がカギとなる。そのため、台風がやってくると、東にそれても西にそれても直前まで心配が尽きない。台風に限らず、南は大丈夫であっても北は豪雪ということもある。
毎年のように、出張できるかな、できないかなと各種報道を注視していると、年々災害報道のレベルが上がってきていることを実感する。おととしより去年、去年より今年のほうが、災害に対する心構えがより早く報道されるし、飛行機の欠航が決まるのも早い。集合知の蓄積によってきちんと対策が打たれているのだろう。立派だなあと思う。
そもそも今回の出張については、札幌に住むぼくからすると、北九州なんて台風が来たら絶対むりだろ、みたいな先入観はあった。しかし現地の人に聞いてみるとどうやらそうでもないらしい。九州北部は意外と台風に強いのだという。そうかな? 去年は佐賀出張のときに前日の台風で駅前が浸水していたって聞いたけど……。飛行機はわりと降りるという。そうは言われても不安なので、複数の経路を準備した。
千歳→福岡の飛行機、直行便のほかに、千歳→伊丹→(新幹線)→福岡を検討した。ほか、羽田経由、セントレア経由、さまざまな乗り換えをかんがえておいたのだが、結局今回の台風では羽田と伊丹がやばそうだということになり、とっておいたチケットはすべてキャンセルして、前日の時点でスカイマーク直行便に命運を託すことになった。
そしていざ当日。
スカイマークは無事時間通りに離陸。台風を飛び越えて何の問題もなく福岡空港に着陸。なんと定時よりも15分早くついてしまった。
そんなことがあるのか? 愕然とした。まさか追い風のせいでこんなに早く……?
驚いていたら現地の人に笑われた。
「違いますよ先生。スカイマークはANAやJALと比べると『弱い航空会社』なので、ふつうは福岡の上空で着陸待機させられたり、滑走路に降りてからも遠回りさせられたりするんですけどね、今回、羽田とか伊丹とかぜんぶ飛ばなかったでしょう。だから空港が空いてたんですよ。着陸してすぐ飛行機から降りられたでしょう?」
そんなことがあるのか。全く知らなかった。結局ぼくは、「台風の影響で現地に早く到着してしまった」のである。
天気と飛行機とぼくの出張。もちろんそれぞれ関連がある。しかし、どれだけ科学が進歩して、どれだけ報道が丁寧になっても、今回ぼくが「台風のせいで講演会場に早く到着できた」という未来は全く予測できなかった。手練れの出張イストだったら予測できたろうか? いやあそういうものでもないと思う。複雑系において、人間が一番知りたいことというのは、いつでも後からしか予測できないものだと相場が決まっているのだ。
経済がよくなる・悪くなるなんてのもそうだし。
スポーツでチームが勝つか・負けるかなんてのもそうだ。
そして、医療もきっとそうなんだろうなーと思った。ぼくは病理医なのでどうしてもさまざまな事象を病気や健康と結びつけて考えてしまう。人がどういうメカニズムで病気になるかはだいぶわかってきたし、病気になるとどうなるかというのもなんとなくわかっている気になっているけれど、その病気によって患者がどういう毎日を歩むのか、明日どこにたどり着くのか、そのときどう思うのかまではなかなか予測できない。
なんてことを考えながらAIの話をした。今回もまた結論としては「AIが勝ち、ふつうの病理診断医はほろび、本物の学者と医療者だけが残る」という説明をしたのだが、内心、
「AIが勝ってもしょうがないんだよな。人間が負けないほうが大事なんだけどな」
と思っていた。