2019年10月3日木曜日

りんご以外も食べる

連続出張で乱れた勤務スタイルが元に戻るまでに4日ほどかかってしまった。ばたばた過ごしていると、何も今日この話が聞こえてこなくてもいいのにな、というレアなトークがばんばん耳に届く。研ぎ澄まされているということか? いや、単に運が悪いのだろう。このクソ忙しいときに、そんなに心に負荷をかける話題はいらないのになと思う。

札幌の夕暮れは少しずつ寒さがきつくなってきた。この部屋は空調が終わってるから、そろそろカーディガンか何かを用意しないと風邪を引いてしまうだろう。書いていて思ったが、体が冷えたからといって、そのへんに風邪の原因ウイルスが飛び交っていなければ風邪は引かないわけで、病理の部屋に孤独に震えているだけのぼくはどれほど寒かろうが風邪など引くわけはないのだが、まあ、そのへんは、よくわからないメカニズムがあるかもしれないし、あったかくして悪いことなどあるまい。膝掛けが活躍する季節がやってくる。

聞きたくない聞きたくないと引きこもっていても、耳を引っ張られるようにして巻き込まれる。どうやら、今後のぼくらの働き方を大きく左右する、つまりはこの業界の制度みたいなものがガラッと変わるという噂話。ただし噂とは言ってもかなり中枢にいる人間から聞こえてくるリーク情報なので、おそらく将来本当にそのようになるだろう。ぼくは同じ職名のまま、少しずつ違う仕事をすることになりそうなのだ。

ツイッターのタイムラインでは「10年間を振り返る」みたいな企画ハッシュタグが花盛りである。アドラー心理学とすこしだけ距離をつめたぼくは、もはや過去に対する興味を失いつつあるのだけれど、実際、それは過去にぼくが想像していたことと今のぼくがぶち当たっていることがまるで当たっていないからで、何を言いたいかというとそれはつまり、時間軸は全く直進していないのでレール代わりに使うにはあまりに不便なのだということだ。振り返っても闇は探れない。遠くを見やっても霧の向こうはわからない。足下すらおぼつかない。なのにドローンだけ飛ばそうとする。振り返っても首が痛むばかり。背伸びしてもつま先が痺れるばかり。

ぼくは病理診断医に「なったこと」を後悔したことがある。しかし、病理診断医でいる今に後悔した記憶がおもしろいことにほとんどない。振り返ったり遠くを見たりするといろいろと考えて評価をしてしまう。ところがそういうのをやめるとわりと満足しているのだからおもしろい。顕微鏡の前に一人座って、たまに膝をなでながらキーボードを叩いていると、またどこかからか、病理医の働き方が変わるらしいよという噂が聞こえてくる。えるしっているか、うわさは、かことみらいのはなししかしない。