2019年10月16日水曜日

そろそろ西村賢太に手を出す

「多弁」にメリットがねぇなあと気づかされる毎日だ。

昨日まで更新していた「病理の話」にしても、結局、ある研究会で10分くらいしゃべっただけのことなのに、週をまたいで3話もの長さでブログにしてしまっている。わりと狂っている。

そんなに引き延ばさなくても……というか、逆か、ちゃんと短くまとめる能力がないのか。

細部を過不足なく書きたいなーと思って局所でちまちま文字数を重ねることで、できあがって俯瞰するとだいぶいびつで巨大な楼閣になっている、みたいなかんじだ。子どもがレゴブロックで大きな城を作ろうとする際にやることに似ている。門のところばかり凝っていて、なかなか屋根がつかない。庭にとても多くの動物がいるが、部屋の壁が分厚すぎて、部屋の中のスペースが狭くてベッドしか置けない。




こないだラマチャンドランの名著「脳のなかの幽霊」(角川文庫)を読み始めた。角川なんだなあ。単行本が出たのは1999年。今となっては多くのテレビや雑誌などで取り上げられすぎて、アレンジされすぎて、もはや一般常識みたいになってしまった「左脳と右脳の話」。これを最初に世に広めた本ではないかとも言われており、今に到るまで続く脳科学ブームの先鞭を付けた本だと言われている(茂木健一郎ががんばったからだ、と言いたい人はいるだろうが、いちおうこの本がかなり大きく貢献したことは間違いない)。

この本、なぜかぼくは未読だった、一番先に読んでいてもいいような本なのだが……このたびあらためて読んでみて、ああすごい読みやすいなあ、なんて訳文が上手なんだ、とまず思った。しかしすぐに思い返して、(もちろん翻訳はとても上手なんだけれど)ラマチャンドランの脳が信じられないくらい整然と片付けられているんだろうなあという印象をもった。まだ読み途中だけれどね、科学の本なのにここまで読みやすいとため息しかでない。かなり高度なことも書いてあるのになあ。

そこそこの長さの本で、まだ読み終わってはいないのだがとにかく多くのエピソードや多くの思考が流れ込んできて大河に浮かんでいるような気持ちになるのだけれど、途中、ふと、

(ラマチャンドランの文章はひとつひとつが絞られているなあ、むしろスリムだな)

と感じるようになった。多弁で冗長という感じがしない。一流臨床医の為せる業か? 多くの言葉と多くの知恵を練り込んでいても、段落や一文がさほど長くなくて、結論が明快でスッと頭に入ってくる。

たぶんぼくはそういうところを本当は目指して訓練していかないといけないんだろうな、と思った。なのに最近のぼくは純文学とか私小説みたいなドロドロして結論が見づらくて懊悩しているタイプの文章ばかり読んでいる。そういうところだぞ、と声が響く。