紅葉も半ばくらいなり定山渓。
10月の中旬、ぼくは札幌の臨床検査技師会が主催する1泊2日の勉強会イベントに招かれて講演をすることになった。
札幌市の南端、山の中に入っていったところに定山渓(じょうざんけい)温泉というなかなか規模の大きな観光地がある。市の中心部から車で1時間弱。ぼくの実家からだと30~40分程度といったところで、高級宿から子供連れにやさしい大型プールつきの巨大ホテルまでを兼ね備えた使いやすい奥座敷だ。
こんなところで勉強会やるのかよ、と驚いた。しかし臨床検査技師たちはときにこういう「交流込みの勉強会」を主催する。
かつて、大分県の九重温泉に呼ばれて1泊2日で、超音波検査技師たちと勉強会をやったことがあった。そのときは夜中の2時まで超音波画像と病理像の照らし合わせを行った。さすがに深夜0時を回ると出席者の半分は脱落して温泉に入ったり眠ったりしていたようだが、残りの半分はビールや焼酎などを片手に延々とマニアックな学術トークにつきあってくれた。ああいう会は一見ふざけているようで、実際にはかなり学ぶところも多い。単純に観光の思い出が増える一方、学術知識もいつもと違う脳の引き出しにストックされる。気分を変えて学び続けるというのは、専門職の知恵なのかもしれない。
そして今回の定山渓イベントもまた泊まりの勉強会だ。しかしぼくは翌日も仕事があるので、宿泊はせず、講演が終わったらとんぼ返りしなければいけない。飛行機じゃないだけラクといえばラク。自分の車で早々に家を出た。ぼくの出番は夕方だが、ぼくの前にしゃべる技師の講演も聞きたいし、何より今の時期、定山渓は紅葉シーズンで渋滞が予想されるから早めに出発した方がいいだろう。
予想に反して道はすいていた。それもそのはず、なかなかしっかりした雨が朝から降り続いていた。これでは紅葉狩りというわけにもいかないだろう。藤野・石山を通り抜けてするするとゆるやかな山道に入り、トンネルを抜けたら早めに右折して、目抜き通りの裏から定山渓温泉街へとアプローチする。
雨が山肌に反射して霧のようになっているのが美しい。紅葉はまだ五部といったところか。
まだ日は高いがぽつぽつと傘の人々が道にみえはじめた。温泉街につきものの、独特の看板をかかげるラーメン屋をいくつかやりすごし、屋根のついた足湯スペースに人がむらがっているのを横目にゆっくりと車を進めると、名の知られた宿の看板がみえはじめた。
今日のイベント会場は、「花もみじ」。はからずも季節感にあふれた名前の大型ホテルである。向かいには老舗の「ふる河」がある。となりには何度か買い求めたことがあるお土産屋があった。見慣れた風景だ。
ホテルの目の前に車を止めるのははばかられたので、少しだけ後戻りして、二階建てになった鉄筋の駐車場の1階に車を入れた。2階部分がコンクリートではなく基本的に鉄筋そのものなのだろう、屋根はあるのだが雨がしたたりおちてくる。あわてて後部トランクに入れた傘を取り出し、パソコンの入ったトートを胸にかかえてホテルへと急いだ。
会場にはすでに多くの……といってもせいぜい30名程度だが……技師たちが集まっていた。もっとも、行楽シーズンの土日に、超音波検査や病理の勉強のためだけに1泊2日で集まろうという猛者たちなので、少数精鋭という言葉がぴったりかもしれない。見回してみると知った顔が半分といったところ。よくみると超音波や病理とは関係のない部門の技師たちがちらほら混じっている。すでに管理職に上がった人間であったり、あるいは、勉強会を毎年主催する幹事側であるためにジャンルを問わずに必ず参加する人であったりするのだろう。
幾人かに挨拶をしつつ、すでに着席している人たちをそっと見渡す。はじまる前の時間に、「抄録」(講演会であれば各講演の要旨や、講演者の経歴などが記載されている)をめくっている人は誰だろうか、と探すのだ。ぼくのクセである。なぜそんなことをするのかと言われると自分でも理由ははっきりしないのだが、おそらくぼくは、今日の講演会を一番楽しみにしている人に向けて講演をしよう、と思っているのだ。
比較的若い人が熱心に抄録をめくっていた。
よし、今日は若い人向けにしゃべろう。
今回はじめて言語化してみて思ったがぼくはたぶんそうやって講演をしているのである。
医療者の学術講演というものは、いろいろな活用方法がある。自分の知らない最新の知識を吸収するために参加する人もいるが、そうではなく、すでに知っていることを誰かほかの人の口からきいてみたいというモチベーションもあるだろうし、自分の専門ど真ん中の情報をほしがる人もいれば、自分がふだんあまり気にしていない他分野の情報をなんとなく見てみたいという人もいる。
講演するほうもいろいろだ。自分の経験と自分がたずさわってきた仕事の話をきちんと話せばいい、それはひとつのスタイルである。しかし、聴衆が求める様式にあわせてしゃべる内容をいじくるタイプもいる。ぼくは「相手に合わせてプレゼンテーションを変化させる」ほうだ。
講演の依頼文の中に、「何をしゃべってもいい」と書かれている場合、必ず、一度はたずねる。「あなたが今一番聞きたい臓器や病気はなんですか」「具体的にお題をいただけたほうが助かります」。すると依頼者は熱心なので、そういうことでしたらとばかりに、なんらかのお題を返してよこす。そのお題が必ずしもぼくが一番得意な内容であるとは限らない。病理医であるというだけで病理ならなんでもしゃべれると思われがちだがそうでもない。しかし、いただいたお題がたとえ自分の専門性から多少外れていようとも、勉強することでそのずれを埋められると思うならば、その話は引き受ける。引き受けて、勉強して、講演会までの間に「自分の専門領域にしてしまう」。これはそこそこリスキーである。知ったかぶりしかしゃべれないこともある。けれどもぼくはそうやって、自分の専門とする領域の幅を少しでも広げようとやってきた。
うまくいっているのかどうか。それは聴衆側に聞いてみないとわからない。
今日ぼくがしゃべる内容は「肝・胆・膵の超音波画像と病理組織像の対比」。肝・胆・膵というのは、肝臓、胆道(胆のうなど)、膵臓という3領域のことだ。ひとまとめにして語られることが多い分野だが、あくまでこれらは3分野である。例えるならばサッカー、ラグビー、アメフトの話をしてくれ、というのに近い。共通点がフィールドがあることとボールがあることくらいしかないではないか。
かつてのぼくは肝臓病理が専門だった。だから肝臓の超音波検査と病理組織像の対比というお題の講演は初期から行っていた。そして、今から10年ほど前に、はじめて胆のうや膵臓に対する講演依頼が来た時には頭をかかえたものである。肝臓と全然違うのに……。たしかに、胆のうや膵臓の「病理学」に関する知識はあるのだが、それが他人に向けてしゃべれるほど整理されているかどうか、また「画像検査の知識」と併せて展開できるかどうかは別の話なのだ。
結局、講演のたびに、微調整を繰り返し、勉強をして、ほかの人がしゃべる講演を聴き、取り入れ、また学んで、と繰り返しながらここまでなんとかしのいできた。そして今回また「肝・胆・膵」。何度も依頼を受けてそのたびに講演という形で勉強してきたことで、もはや胆のうや膵臓の画像・病理も肝臓と同じくらいに語れるようになった。
……こうして書いていて思ったのだが、結局のところ、講演会で学び、新しい知識を吸収し、今まで持っていた知識を確認して、明日からの日常の診療に活かしているのが誰なのかというと、それはおそらく、聴衆よりもまず「講演しているほう」なのだろう。ぼくは先ほど「一番熱心に講演会に向き合おうとしている人に向けて講演をしようと思っている」と書いたが、そもそも依頼が来た時から講演に対して一番熱心に向き合う人間は講演者でなければならないのだった。話す方が熱心に学んでいるからこそ、聞こうとしている人の熱心さにこたえられるというものなのだ。
「若手の勉強になるように」としかけられている各種の講演会によってぼくは育てられてきた。となると、そろそろ、講演をする役目をぼくより若い人に譲らなければいけないよな、という気持ちになる。
講演をする人はすでに業績があり偉さが炸裂しているような大御所であってはいけないのかもしれない。
いや、まあ、大御所がしゃべる姿を肴に懇親会に進みたいタイプの人もいるのだろうけれども。
講演会を終えて自宅に帰る車の中で、ぼくはずっと、「次の時代を担う人に講演をしてもらうこと」を考えていた。札幌セミナーは翌日も開催されるが、そこにはぼくより9つくらい若い病理医が、「乳腺の超音波検査と病理像の対比」というお題にはじめて取り組むのだという。さぞかし大変だったろうな、と思った。乳腺の病理に詳しいからといって、乳腺の超音波画像と照らし合わせるなんていう「普段病理医があまりやらないこと」を講演と称して多くの人の前でしゃべるというのはけっこうなストレスなのだ。
一夜明け、ぼくは職場で仕事をしていた。合間にFacebookをみる。ちょうど先ほど終わったばかりの「札幌セミナー」の会場から感想をつぶやく知人の姿がFacebookに掲載されていた。
「乳腺の対比の話、おもしろかったです。〇〇大学病院の〇〇先生はすばらしかった。」
ぼくはなんだか泣きそうになってしまった。知らない人に対して心で拍手を送りながら、ぼくらはこうして前に立つために勉強を続けないといけないんだよな、と思ったし、もうぼくは若手じゃないのだから、呼ばれてしゃべれと言われて喜ぶのではなく、機会をきちんと若い病理医に渡していかないといけないよな、と、そんなことをひたすら考え続けていた。外はきれいに晴れ上がり、今日の定山渓はきっと紅葉がきれいだろうな、と思った。