2022年9月30日金曜日

病理の話(701) 見えないものを見ようとして

病院ではさまざまな検査が行われる。血液検査、心電図、そして各種の画像検査などだ。

いずれも病気を見出し、病名をつけ、病気がどれだけ広がっているかをしらべるのに非常にべんりである。


医療機器の進歩はすばらしい。たとえば、超音波検査はすごいぞ。「エコー検査」と呼んでもいい。妊婦さんのお腹にあてて赤ちゃんのようすを調べたりできるので、ご存じの方も多いだろう。

超音波の利点はいろいろあるのだが、まず、「リアルタイム性」がいい。CTやMRIだとまずは患者さんを寝かせて写真をいっぱい撮り、あとで専門の知識を持った人が複数の写真をじっくり見て病気を見つけ出す。一方で超音波は、検査担当者が自分で超音波の出る機械(プローブ)をお腹に押し当てて、動かすとその様子がすぐに手元のモニタに映るから、リアルタイム性が段違いだ。患者と医療者が会話しながら検査することも可能であるから、「どこが痛いか」を確かめながらその部分を見ることができる。おまけに、解像度が高くて細かい構造までよく見える。

さて、この超音波検査、音を物体にあててその反射を見るものなので、音の性質を利用していろいろと特殊な現象をみることが可能である。

たとえば、救急車のピーポー音の変化で有名なドップラー効果を用いて、体内の血流がどっち向きに動いているかを検出するドップラー検査と呼ばれる機能が有名。これはつまり、「流れ」を見ることができるということだ。

ほかにも、音波の散乱や屈折などをさまざまな形で検出することで、物体の「硬さ」や「粘性」を推しはかることもできる。メーカーごとに、研究者達が技術の粋を尽くしている。

音波の性質を知り抜いた音響工学者たちが、超音波検査機器の開発を進めてくれたからこそ、可能になった技術だ。

臓器や病気のシルエットだけでなく、流れ、硬さ、粘性といったものを測定できるのが、超音波検査のよいところなのである。



ところで、「流れ、硬さ、粘性」はいずれも、病理診断が苦手とするものだ。つまりは弱点。

病理診断は、患者から摘出してきた臓器を直接目で見て、ホルマリンという薬剤で固定して、それをナイフで切り出して、プレパラートに乗せて色を付けて観察する。お腹の中で血が巡った状態の臓器を、リアルタイムで見ることはできないわけだ。となると、血液の流れはどうやっても観察できない。

たとえば、渋谷のスクランブル交差点を「写真に撮る」と、人びとのダイナミックな動きを直接見ることはできなくなるだろう。それに似ている。


「いや、渋谷だったら、人びとの姿勢や顔の方向を考えれば、人びとの動きくらいだいたいわかるよ。」


という人もいるだろう。実際、病理医も、すでに動きをとめてしまった細胞を見ながら、「こいつらはこっちに向かって配列していそうだな」「この血管の中身はこっちに向かっているだろうな」なんてことを解釈する。


しかし、やはり動画ほどはわからない。人びとが混雑の中をどうやってすり抜けて歩いているか(※粘性みたいなもの)は、やはり、動画で見てはじめてわかる……まあ、超音波検査ではかる「粘性」はそういうのとはまたちょっと違うんだけど。




病理医は、「直接見ることができないものを推理する」ということをする。たぶんこの領域には水分量が多いな、ということを、周りに出現している炎症細胞や間質の成分の比率などから推しはかったりする。見えません、わかりません、だけで片付けようとはしない。

しかし、それに限界があるということもまたよく知っている。だから優れた病理医は、病理組織プレパラートの情報だけですべてを決めようとせず、他の医療者が検査をした結果を診断に盛り込むようになる。内視鏡、CT、MRI、そして超音波検査から得られた、「その検査ならではの情報」を用いることで、病理医の診断もまた豊潤になっていくのである。見えないものを見ようとするならば顕微鏡ばかりのぞきこんでいてはだめなのだ。