2022年9月13日火曜日

ボールひとつぶん

金土日で急いでやるべき仕事はすべて片付いたので、月曜日の午前中は少し集中して教科書の校正をしようと思った。しかし、いざキーボードに手を下ろすと、爪が伸びていることに気づく。昨日まではわからなかったのに。1日で、いや昨日は夜まで働いていたからつまりは半日で、わずか0コンマ数ミリの違いのはずなのだけれど、爪は確実に伸びてキータッチをジャマする。

あるいは、夜は指先がわずかにむくんでいて、朝になってそのむくみが取れた分、爪の伸びが顕在化してくるのかもしれない、なんてことを思う。頭の中に湧き上がったインスピレーションをいったん保留して、爪を切る。両手10本切りそろえたころには、インスピレーション(笑)はとっくに陳腐化していて、(このくだらないアイディアの何にそんなに興奮していたのだろう……)と、爪切り後賢者モードに突入している。




先日から読んでいる本は、学校やオフィスの建築構造、あるいはデスクのレイアウトが人びとの仕事や生活にどのように影響を与えるのか、みたいなことを、ぼくのぺらっぺらの語彙ではなしに、もっと重厚に考えていて、読んでいてすごく楽しい。ただし、仮にぼくはオフィスがもっとクリエイティブなデザインにだったとして、YOGIBOとかめちゃくちゃいっぱいあって、フリースペースのどこで顕微鏡を見ても大丈夫で、コーヒーメーカーのところでみんなが談笑できてアイディアの交換もできて、動線によって次々と新しい出会いが生まれてセレンディピティ! みたいなことを言われても、爪の伸びひとつで「集中できねえな。」と思って朝からゴミ箱のあるところで爪を切ることから仕事をはじめるのだろう、と思った。「爪も含めて環境だ」とも言えるから、環境が仕事に影響するという考察自体は間違ってはいないだろう。


そして、こういうことを考えているときに、「爪を短く切っておくことがいい仕事の秘訣。」みたいに安直に結論をするのではなくて、「爪を短く切れば集中できると自分に言い聞かせているぼく自身のパーソナリティ」というものにも目を向けることは可能だ。実際そこまでやらないと、そのへんを歩いている若者をとっつかまえて、「いいか、爪を切るんだ。伸びた爪は素早いキータッチの敵だからな。」みたいなことを言う老害に成り果てることになる。なお、爪を切るだけでいい仕事ができるようにはもちろんならない。そういう問題もある。


環境が自分の仕事を手伝うのではないし、自分が環境を無視して何かを為せるわけでもない。環境と自分が溶け合った状態で、相互作用を及ぼし合っているうちに、「ぼくと環境との間」から仕事が飛び出してくる、あるいは噴き出してくるような間欠泉のイメージ。何かが噴き出てくる場所は自分の中からボールひとつぶん体の外に離れたところにある。YOGIBOに座ってPCを膝に乗せればいい仕事ができるというのはぼくにとっては幻想だが、そういう環境とのマッチングによって何かを噴き出させる人も、きっと世の中には何パーセントか混じっているのだろうから、環境を整えていい仕事をしましょうというのは大枠では賛成している。ただし、そういうときに、自分の中からお湯が沸いてくると思っている人をみると、うん、ボールひとつぶんずれた自己認識だな、と感じるのである。