2022年9月29日木曜日

ほほを赤らめる必要はない

積み立てNISAを調べようと思ってはや数年経つ、さっきとうとう重い腰を上げて検索したのも結局はNASAについてだった。NASAの日本語訳はアメリカ航空宇宙局と米国国家航空宇宙局の二通りがあるということをはじめて知った(Wikipedia情報)。


ふるさと納税についても長年「やったほうがいい」と言われ続けていたが、はじめたのはつい2年前だ。やってみたらこんなに便利なものはないとすぐにわかる。乾燥スープやトイレットペーパーなど、何もしなければ税金として払って終わりの部分が衣食住へのプチサービスになって返ってくるのだから福祉的ですらある。もっと早く始めていればよかった。


何に付けてもそうである。良いものなんだからすぐにやればいい、と言われれば言われるほど、動き出しがめんどうだと感じてなかなかはじめようとしない。慣性の法則によって、止まっている物体はそのまま泊まり続ける。宿泊すんな、ATOKはもうちょっと適切な漢字変換についてよく考えてほしい。さておき、止まっているものを動かすのは大変なことなのだ……自分のことだけど。



人に(というかぼくに)行動を起こさせるにあたっては、「おすすめ」だけではだめなのだろう。ぼく自身の感性ならぬ慣性を思いながら考える。ずっと座ってパソコンを叩き続けていたある日、腰がどうにも痛くなって、やばい、このままだと仕事が続けられなくなると思って、やにわに太もものストレッチをはじめ、寝る前にも念入りに前屈やら何やらやるようになって、3週間くらいで腰痛が引いて事なきを得た、みたいな場合、行動のきっかけとなったのは「ストレッチをすると体にいい」という前向きな情報ではなく、慣性的静止状態をかき乱すベクトル(=腰痛)に対する反作用のほうだ。それくらい、自分からは動かない。実際に損が発生してから、やれやれしょうがない、とばかりにマイナスをゼロに戻すためのムーブにとりかかる。手遅れという言葉が頭をよぎるが、即時対応のカスタマーサポートと呼べばそこまで印象は悪くない。


言い換えれば「自分の殻からの出不精」の話なのだが、これ、普通に考えて、大多数の人も五十歩百歩な気はする。たとえば医療情報のことを考えてほしい。「やっておいたらあなたの健康にいいことがあるよ」をその通りにやってくれる人など、まったくいないというわけではないが多数派とも言いがたい。

いやいやそんなことないよ、たとえば健康診断とか、病気にかかる前にちゃんと受けてるもの、という人も出てきそうだが、本当にそうだろうか。「すでに社会の多くの人がやっているから、やらないと(自分だけが取り残されて)損」という構造が見えているからこそ、つまりは「潜在的に損になりかねない」という実感が湧いているからこそ、ワクチンとか健康診断のような一次予防、二次予防にかんする行動を起こすのではないか。少しいじわるな見方だけれども。

「バランスの良い食事をしてときどき運動をすると健康が長く続きますよ」というのははっきり言って最強の医療情報だ。しかし、「まわりにやっている人がいる」か、「過去に不健康に苦しんだことがある」といった、顕在・潜在を問わず自分がいったん損の側に入った状態でないと、普通の人はなかなか食事も運動もテコ入れしようとはしないものである。

なのに、我々医療者はすぐ、「ただしい医療情報を世の中に行き渡らせれば、人びとはそのように動いてくれるはずだ、なぜなら人間は根本の部分で理知的であり、いい情報を手に入れれば必ず使うからだ」みたいな夢を見ている。「夢を見る人間はそのままずっと夢を見続ける」という慣性の法則がそこに働いている可能性がある。正しくても有用でも人は動かない。

でも、損をちらつかせて行動変容というのも、ぶっちゃけ見飽きた。ワクチンを打たないとこんなに病気のリスクが上がります、という「正しさ」で、人の行動をどうにかしようというアイディア、今日のブログにぼくが書いてきたものを踏まえるとまったくもっておっしゃるとおりなんだけど、その気根の部分がどうにも気にくわない。なんかもうちょっと、「つい……言われたとおりに……やってみた///」みたいに、ほほを赤らめながら行動にうつる人を増やす方策はないものか? 推しに無限に課金する、みたいなノリで、よりよい医療情報をどんどん行動に結びつけてくれる人が、もっと増えるためには、われわれはいったいどこでどのように動けばいいのだろうか? ……ああ、動かないとだめなのか……。