2023年1月13日金曜日

病理の話(735) 中間報告という強靱なタスク

このブログは年の瀬に書いている。仕事納めの日だ。今日は一年の中でもそこそこ特殊な業務をやる日。自分の手元からまだ離せないタイプの仕事にどんどん「中間報告」をする日。



病理診断というのは、早いものであれば、依頼書を1分で読み、顕微鏡を5秒見て、診断書を1分で書いて終わってしまう。顕微鏡を覗くのには一般的にさほどの時間を要しない。臨床医との関係が良好ならば多くの事前情報を効率的に入手した状態で顕微鏡をみることができ、そういうケースではチェックしなければいけない項目も明確なので余計に早い。

病理医といえば顕微鏡、みたいなイメージがあるけれど、プロ野球選手が試合の最中に一瞬ずつしかバットを振らないように(だいたいうろうろしたり守備をしたり座ったりしている時間のほうが長いだろう)、病理医もここぞというときに顕微鏡を「一閃」すればよい仕事である。


しかし、その一方で、たった1枚の診断書を書くのに数時間、数日を要することもある。

ひとりの患者から採取された検体をプレパラートにするときには、小指の爪の切りカスくらいの小さな検体ひとつをプレパラート1枚に載せて終わりのこともあれば、SDカードくらいのサイズの検体を載せたプレパラートを50枚以上用意することもある。目を通すべき検体の「面積」はさまざまであり、5秒ではとても見切れないケースがある。

ただ、プレパラートの枚数とか面積だけが負担の源というわけでもない。根本的に患者の病気が「難しい」場合がある。

依頼書を読んだあとに電子カルテを何時間も眺め、血液検査結果やCT/MRIなどの画像所見も念入りにチェックし、患者の複雑な情報を頭に叩き込まないと、「顕微鏡を見るところまでたどり着けない」ことがたまにある。原発不明癌、原因不明の胸腹水、血管炎疑い症例、膠原病疑い症例、造血器系腫瘍疑い症例……。

なんとかプレパラートを見始めても、そういう症例のときは、秒で診断が決まることはまずない。延々と教科書や論文を見比べながら、「免疫染色」を追加オーダーし(施行に日単位の時間がかかる)、外部の病理医に相談し、数日経って免疫染色が仕上がってきたらそれをまた見て……とやっていると、あっという間に1週間くらい経ってしまう。この間、別の仕事をしながらも、頭はなんとなくその患者の病理組織像に持っていかれている。


こうして、「時間がかかるタイプの病理診断」がある。

するとわきあがってくる問題。「診断がつくまでの間、患者や主治医は何を思うか」なのだ。

病理診断がつかなければ、患者や主治医はその分、待たされる。病理診断が決まらないと治療が進んでいかない。

そういうときに病理医はどのようにふるまうべきか。


1週間なら1週間、2週間なら2週間、時間を要する診断のときには、患者を直接担当している主治医とひたすらコミュニケーションしていく。これが大原則であり、病理医の仕事の要にあたる。「こっからは病理でやっとくんで、結果が出るまで問い合わせないでください」みたいな病理医は最悪である(しかしたまにいる)。

今こうして悩んでいます、今ここまではわかりましたがここがまだわかりませんと、主治医と情報を随時共有していくのがいい。ただし、四六時中ばんばん電話したらそれはそれで迷惑なので、あらかじめ「次の情報は○日後に出せそうなので、時間/興味があったら連絡してください」と主治医に伝えておくとよい。

なぜ「途中経過」を伝えたほうがいいのか。

まず、1,2週間の間、患者の状態が変わらないとは限らない。どんどん悪くなっているかもしれない。あるいは、逆に、ひどかったはずの病勢がすっと落ち着いてくるかもしれない。そういったものに主治医は逐一対応している。確定診断ができればピンポイントで病気と戦うための治療をはじめるが、仮に、確定まで至らずとも、「おそらくこの病気である」という情報さえあれば、ひとまずの1,2週間をやりすごすための中間的治療をはじめることができたりする。

また、途中経過を共有することは、主治医や患者にだけメリットがあるわけではない。病理医の側にもメリットをもたらす。なぜなら、経過が変化していくこと自体に診断のヒントとなる情報が隠れているからだ。検体を提出した1週間前にはわからなかったことが、病理診断に頭を悩ませているうちに、臨床の検査でわかっているかもしれない。



というわけで病理医は、診断が確定したら報告書を書くが、「診断がまだ決まっていなくても」主治医と連絡をとる。

で、ここでひとつ落とし穴がある。

年末年始などの長期休みでは、主治医とも、あるいは患者とも、連絡が取りづらくなる。

となれば、この間、難しい病理診断は宙ぶらりんになる。

まったく診断がわかりません、のまま年越しをするというのは、患者にとっても、主治医にとっても、そして何より病理医にとっても、負担が大きくリスクもはらむ。

だから、仕事納めまでに決着がつかなそうな診断には、平時よりもさらに念入りに、「丁寧な中間報告」をしておく必要がある。


「どうがんばっても年内に診断は完遂できないが、現状ここまではわかっている、この治療だったらスタートすることもできるだろう、この治療はいったん待ったほうがいいかもしれない、年明けにこれくらいの時間をかけて診断を終わらせる」

といった綿密なレポートを、仕事納めの日には書くべきなのである。まあ、できれば仕事納めの前日くらいまでに書けるといいのだが、検体作成の都合でどうがんばっても仕事納めの日にしか仕上がらないプレパラートというものもあるので。


患者の病気は待ってくれないのに、カレンダーのせいで診断が遅れる、みたいなことは患者にとって腹立たしいだろうが医療者にとっても大きなストレスである。だからなるべくそのようなことが減るように、医療者たちは長年の経験を駆使して、「年末の遅れがなるべく患者に悪影響をもたらさないように」検査の順番を適宜早めたり、診断のプロセスが年末年始にかからないようにしたりする。それでも年末年始にひっかかってしまう「難しい病理診断」というのは、総数としては多くない、多くないが、必ずある。そのような症例に対し、精魂込めて中間報告を出すのが年の瀬の病理検査室の光景となっている。