2023年1月25日水曜日

病理の話(739) DNAと遺伝子

人体の中にあるほとんどすべての細胞は「核」を持っていて、中には細胞の部品をつくるための設計図である「DNA」が詰めこまれている。

けっこう有名な話だ。細胞にはDNAがあるというのは、いまどきの小学生でもけっこう知っているのではないか。

ただし、DNAというのは、デオキシリボ核酸 DeoxyliboNucleic Acidの略称である。素材の名前にすぎない。

「細胞核の中にはDNAが詰まっている」というのは、「本の中にはたくさんの紙が詰まっている」と同じような言い方なのである。

ぼくがいきなりあなたの肩にポンと手をあてて、こっちを振り向かせて、「本にはたくさんの紙が詰まっているんだよ。」と言ったら、なんかこいつ変だなと思わないだろうか。ちょっと不自然な言い方だなと思うだろう。

紙の本に含まれているのは物性だけではなくて「情報」だ。だから「紙が詰まっている」と素材だけの話をすると、不自然に聞こえる。

おなじように、「細胞核の中にDNAが詰まっている」というのも、情報のことを考慮していない言い方なのである。



DNAに書かれているものは「細胞の部品を作るための情報」だ。DNAの配列(塩基配列)に応じて、リボソームという場所でアミノ酸が順番に結合してタンパク質が形作られる。非常に多くの種類のタンパク質が、細胞の壁や柱に相当する支えになり、細胞の手足に相当するさまざまな部品になり、細胞の口や肛門にあたるチャネルやトランスポーターになる。

「情報を持った物質」が核に入っていると言いたいときには「DNAが詰まっている」ではなくて「遺伝子が詰まっている」と呼ぶといい。「本の中にたくさんの情報が詰まっている」と、「細胞核にたくさんの遺伝子が詰まっている」は、同じテンションで読むことができる。




ところで、遺伝子には遺伝という単語が入っている。遺伝、すなわち、親から受け継いだのか? と思いがちだが、実際には両親から受け継いだ手札が「シャッフル」されているので、そのまま受け継がれているとは限らない。親とはまるで違うタンパク質を作るケースもいっぱいあるのだ。DNAというとケミカルなイメージで、遺伝子というと急に親族の顔を思い浮かべる、みたいなニュアンスもある言葉なのだけれど、じっさいにはDNAは「紙」、遺伝子は「情報」くらいの理解でよいと思われる。

なにをごちゃごちゃ言っとんねん、と思われるだろうか?

いや、ま、そうなんだけどさ。




たとえば「がん細胞には遺伝子の異常がある」という一文を読んでどれだけ正確に意図を読めるだろうかという話を考える。遺伝子の異常……つまり……がんになったのは親のせいだ! みたいな連想をしてしまう人はいないだろうか? くりかえすけれども遺伝子というのは「情報」くらいの意味であって、遺伝する・しないとはそこまで大きく関わらないと思ったほうがいい。遺伝子異常を有する病気がぜんぶ遺伝するわけではない(遺伝しない病気のほうが多い)。ほら、こうして、言葉の定義だけでだいぶ誤解が解消されるのだけれど、まあねえ……言葉を正しく使うのってすげえめんどくせぇ≪口語表現≫からね。