2023年1月17日火曜日

病理の話(736) 勤める場所によりけりという話

ぼくは500床程度の中規模病院に勤める病理医である。自分の病院で患者から採取された検体のほかに、関連病院として北海道内にある3病院からの検体も請け負って診断をしている。

新型コロナウイルス感染症の影響で、病床の一部に今までよりも豊富にスタッフを投入しなければいけなくなったことなどにより、人手や病床数が少し減り、検査や手術の件数も減っている。だいたい年間で9500件程度の組織診を行っていたのが、今では8000に満たない。とは言え、今もなお、それなりの量ではある。

これだけあれば、医療の全領域をまんべんなく診断しているかというと……そんなことはぜんぜんない。

たとえば当院には脳神経外科がないので、脳腫瘍のたぐいは一切出てこない。だからぼくはかれこれ15年近く、脳腫瘍をほとんど診断していない。また、若年の軟部腫瘍・骨腫瘍もほとんど診断する機会がない。「腎生検」もみない。

つまりは偏りがあるということだ。ぼくの場合、消化管(特に胃腸)、肝臓、膵臓、胆道(胆管や胆嚢)、肺、乳腺、悪性リンパ腫などをみる機会が一番多い。皮膚はそれなり。婦人科や泌尿器科からの検体は同僚のほうがよく見ている。

このような環境にいるとどうなるかというと、胃腸や肝臓などの病理診断に少しずつ詳しくなる。

簡単な話だ。自分の経験する機会が多い病気の専門家に「なる」。




大学病院に勤めている病理医は、より多くの臓器の診断をしている。かつ、大学には難しい診断、珍しい診断を受けている患者が多い。だから大学の病理医はいろんな臓器に出る珍しい病気のことをよく知っている。一方で、胃炎とか腸炎などはぼくのほうが大学の病理医よりも詳しい……なんてこともある。大学なら医療の全部をみているということもない。すべてに完璧に詳しい病理医というのはなかなかいない。全国を探すとまれにありとあらゆる臓器の診断に通じているスゴ腕もいるが、両手で数えれば足りるくらいではないかと思う。

最初から病理診断すべてに精通しようとすることをあきらめ、「どこかの臓器に特化した病理医」を目指す生き方もある。顕微鏡診断だけでなく、遺伝子の検査や研究なども行いながら、これぞと思ったひとつの臓器、ひとつの病気のことだけ考えてマニアックに突き進んでいく。傾向として、私立医大の病理部や、国公立・私立を問わず大学院の病理学講座には、なにか1,2の臓器にひたすら詳しくなって尖った専門性の中で暮らしている病理医が多いように思う。欧米もそういう傾向があるとのことだが(超絶偉い人以外を)実際に見たわけではないのでそこはよくわからない。





勤める病院のタイプによって病理医としての生き方まで変わる。

そのため、病理医が「職場の異動」をする際には、けっこうめんどくさいことになる。

たとえば大学病院にいた病理医が大学以外の病院に就職すると、その病院の診断に慣れるまでにそれなりの時間がかかる。最低でも3年は見ておいたほうがいい。大学では見たことのない病気をたくさん診断するのはなかなか大変だ。難しい病気や珍しい病気がなければ楽勝ということは全くない。コモン=よくある病気に病理診断をするにはある種の知恵が必要で、その知恵は必ずしも知識だけで構成されておらずわりと複雑な対処をしないと身につかない。

逆も言える。市中病院で多くのコモンな病気を診断してきた病理医であっても、大学病院特有の病気を病理診断しようとすると、まず歯が立たない。ぼくが今から大学に移るということには現実味がまったくない。ただし、大学病院のほうが、総じて病理医の人数が多いため、頼れる同僚がいれば乗り越えられる気はする。

いちばん問題となるのは、市中病院から別の市中病院へと移動する場合だろう。慣れない臓器が提出され、今までと違うやり方で診断をしなければいけないのに、自分のほかに頼れる病理医がいないという状況が、市中病院の場合にはあり得る(大学ほど人が多くない)。すると、今まで1件15分で終わっていた診断に2時間、3時間とかけなければいけない。文献や教科書を見ることも必要だが、自分より前にその病院に勤めていた病理医がどういう文章を残してきたのか、みたいなことをしっかりしらべて報告書を書かないと、病理医が変わったとたんに診断の様式もガラッとかわりました、では主治医も困る。これに慣れるにもやはり3年は見ておいたほうがいい……のだが、大学と異なり市中病院の場合、仕事に慣れない状態で3年間も働いているとほかの医者からの評判があっという間に落ちてしまう(大学は異勤が多いためか人が多いためかわりとなんとかなる印象がある)。だから最初の半年でできるだけ徹夜して一日でも早く仕事に慣れる、みたいなムーブをとらざるを得ない。けど人間はそんなに徹夜できないので、ま、結局、「主治医は困ってるかもしれないけれど知ったことではない」みたいな病理医が誕生することになる……なった(一応過去形にしておく)。



このような、病理医の転勤のつらさをよくわかっている大学医局・高次医療センターでは、若い病理医を育てるにあたって、あらかじめ複数の病院で連携して「数年ごとに異勤することを前提とした教育プログラム」を作っていることがある。若いうちからさまざまな病理の現場に触れておけば、自分が将来病理専門医となったときに、複数の職場から自分にあったところを選べて便利だろう。

いいことしかないように思えるが、実際に転勤ベースの教育を運用すると、属人的な面であたりはずれが出てくる。あらゆる職場で均等に勉強ができるわけではなく、指導医や環境との相性というのが必ずあるし、結婚や子育てなどでしんどい時期にあちこち引っ越しすることが追加のストレスになってしまったりもする。

かといって、自分の生活を変えたくないばっかりに、最初に勤めた大学から動こうとせずにずっと同じ場所で診断し続けていると、教授交代などのさまざまな理由でその大学に居づらくなったときに、大学以外の場所で診断するためのスキルをあらたに身につけることができず(そもそも別病院で働く訓練をしたことがない)、市中病院ですごくちぐはぐな診断をしながら過去の栄光だけを振りかざす「老害」になってしまうこともある……あった(いちおう過去形にしておく)。



病理医という職業自体がレアなのに、その中にも多彩なキャリアがあるので、これといった成功の方程式みたいなものは存在しない。そんなのどの職業だって一緒でしょ、と感じるのが一般の社会人だとは思うけれど、心臓血管外科とか脳神経外科などの技術一本系の科だとあきらかな推奨キャリアパスが存在していることも多く、先輩達のマネをしていればとりあえずハズレはなかったりする。就職場所えらびの難しさはマイナー科の宿命だ。

かつて、ぼくの元にも、これから病理医を目指す若手が押しかけてきて、病院を見学してもらい、大学の話とかもしようかと言いながらいっしょにご飯を食べたりお酒を飲んだりしたものだが、最近のご時世だとそういう宴会的なキャリア相談もまず行えない。Spotifyのライブラリのように個人がそれぞれ違う知識をストックして独自のタイムラインを形成する今の医療教育で、ぼくら中年は彼らにとっての「サブスク体験コンテンツ」でしかなく、一瞬すれ違ってまたすぐ他人になる関係である。こうしてぼくが書いた文章も誰かにドンズバ突き刺さるということもなく、ただ、誰かの人生を微調整する可能性がなくはない、くらいのことしかない。そうわかってなお書いている。