2023年5月18日木曜日

病理の話(777) オカルトは勉強のきっかけに

「病理の話」が通算で777回目というキリのいい数字である。そこで今日は、病理診断における「なんかついてる」という感覚の話をする。



「生検」と呼ばれる検査がある。胃カメラをやって胃粘膜をちょっとつまんでくるとか、皮膚の色の変わった部分をチョンとつまんでくるとか、体の外から乳腺や肝臓めがけて特殊な針を刺すとか(※ちゃんと部分麻酔してます)、いろんな方法で組織を少しだけとってくる。

お味噌汁を味見するようなものだ。「一部分だけ見て全体をおしはかる」。

で、この生検を、ぼくの場合、1日に50~180個くらい見る。曜日によって検査の多い日と少ない日があるが、ある曜日はコンスタントに150個前後見ている。1つのプレパラートを1分で見て報告書を書くとすると2時間半かかるはずだが、実際にはもう少しかかっており3時間半くらい。

(※仕事は生検だけではなく、ほかにも手術検体の診断などがあります。)

生検は、1人の患者から1個だけ採取されることもあるし、場合によっては10個以上採取されることもある。

担当する科はさまざまで、消化器内科、外科、婦人科、泌尿器科、耳鼻科など、あちこちの検体が提出される。

1年に5000~6000人くらいの患者の病理診断にかかわる。生検の個数(プレパラートの枚数)はちゃんと数えてないけど、およそ15000~20000個、くらいだろうか。


このボリューム感をわかっていただいた上で。


「今週は○○病の人ばかり来るなあ!」みたいなことがある。


胃に発生した○○病。皮膚に発生した○○病。リンパ節に発生した○○病。1週間のうちに、同じ病気が3回も!

○○病自体はめったに目にすることがないのに、たまたま、違う患者の違う臓器から、連日おなじ病気が検出されるわけである。


こういうとき、瞬間的に「最近のぼくは、○○病についてる」と感じる。ただしこの「ついてる」はニュアンスが難しい。少なくとも、ラッキーという意味ではない。漢字であらわすなら「憑」に近いだろうか? でも、「憑かれてる」とか「憑いてる」と書いてしまうと、心の中にある何かからずれていく気がする。ひらがなで表すしかない。「何かに自分がついている」という感じ。「最近のぼくは○○病のテリトリーの中に入り込んでいる」みたいなイメージ。迷い込んでいる。多少オカルトチックにとらえているかもしれない。非科学的だ、なぜなら個人の感覚の話だからだ。


科学者だから、次の瞬間には、なぜそんな珍しいことが起こるかを考えてしまう。最近流行しているある食べ物が病気の原因なのでは……テレビでその病気が紹介されたから患者が気になって来院している……新型コロナのワクチンのせいなのではないか……。因果関係を無責任にさぐりまくる。ここまで含めて人の性だろう。


本当は単なる偶然である。年間に15000回、病気や正常の組織を診まくっていれば、たまたま近い期間のうちに似たような病気に出会うことはある。確率をちゃんと計算してはいないけれど、たぶん5年とか10年に1度くらい、そういうことは普通に起こりうる。


ぼくが職場の同僚と、昨日ばったり札幌駅で出会って、その翌週にもばったりサッポロファクトリーで出会ったとして、それを新型コロナワクチンのせいだと言う人はいないだろう。「たまたまだね」「人生にはそういうことがあるよね」と考えて終わり。

病気との出会いもそれといっしょである。

「もしや……何かが……?」と考えるのはよい。それを自分で無理矢理おさえこもうとは思わない。ただし考え付いたらすぐに検証して、証拠がなければきちんと棄却する。それを迅速に、でも丁寧にやる。


さて、「偶然」だと納得したら、「わあ777が揃った~」みたいに「わあ珍しい病気をたまたま3つも見た~」で終わらせてはだめだと思う。「偶然」を利用して、さらに一段高いところを目指す。

ある時期にたまたま似たような病気を何度も目にしたら、その病気に詳しくなるチャンスだ。

日頃、診断のために必要な勉強は欠かさないけれど、病気はいっぱいあるので自然と勉強も広く浅くなりがちである。

「なんだか近頃は○○病に立て続けに遭遇したから、最新の治療法も含めて勉強しておこうかな」と考えることができれば、○○病について普段よりも深めに勉強するチャンスである。



まれに、実際に社会でその○○病がぐんぐん増加しているという話にたどりつくこともある。偶然ではなく必然的に、その病気に出会う頻度が高くなっていたケースだ。めったにないが皆無ではない。そういうときも、勉強を深めておけば役に立つ。「そのうち勉強しよう」だと、本当にその病気が増えていた場合に対処が遅れる。「あっ、なんか○○病づいてる」と思ったらすかさず勉強をはじめる。きっかけがオカルトであっても対策はしておくのだ。

でもまあ実際には、2,3回まとめて遭遇した病気にその後10年くらい出会わないなんてことのほうが多い。でも、いいのだ。勉強して悪いことはなにもない。10年に2人しか出会わないような病気に、15年後にまた出会ったとき、ぼくの脳は「あっあのとき勉強したアレだ!」と、まるで進研ゼミのCMみたいに活性化してくれる。

15年前に国立がん研究センター中央病院に半年だけいた。そこでしか出会ったことのないごく珍しい病気というのがあった。ぼくはそのとき、たまたま、2例似たような症例を経験し、いっぱい勉強して、いつかこれに出会ったら絶対に診断できるようにしておこう、と心に決めた。そこから10年ちょっと経ったある日、本当にその病気に遭遇して、ぼくは2秒で診断にたどり着いた。あのとき、「これも何かの縁かもな」と思って、しっかり勉強しておいて本当によかったと、10数年越しで自分に拍手を送ったのであった。