2023年5月31日水曜日

どこまでも現実

お茶を飲んでいる最中にあくびをして、お茶を口の端からぜんぶこぼしたことある? ぼくはある。今。そういう眠さの中でブログを書いている。田島列島『みちかとまり』の1巻が出たので買った。そして読んだ。猛烈な勢いで心が揺さぶられて、マンガの世界から現実にいったん戻ってきてみるとぐらぐらとめまいがしてすごく眠くなってしまった。そしてノドもカラカラに乾いていた。だからお茶とあくびを同時に試してみたのである。結果、ワイシャツがデロデロに濡れた。なんだか夢の中のようだなあと思った。


Am J Surg Patholの最新号読む。このように「○○を読む」ではなく「○○読む」と書くのは『本の雑誌』で長いこと連載をしていた故・坪内祐三の真似だなと思う。ぼくはいくつも真似をしている。若い頃は、誰かの真似をしていることをナイショにしたままで模倣していた。だから昔書いた文章には、今にして思えばあの人から影響を受けて書いたということがバレバレの文体などがたくさん使われている。小説だけではなくマンガなどの影響もたくさん受けている。自分が昔書いた物を読むと、だから、すごく照れてしまう。照れの先に過去が置いてある。


Am J Surg Patholの最新号のあとは、ネコノスから届いた北野勇作の「シリーズ 百字劇場」の最新作読む。『ねこラジオ』という。この文庫本は3部作になっていて、1ページに1つずつ、たった100字で書かれた小説が載っている。巻末にQRコードがあり、全話解説のホームページ(note)にたどり着く。この全話解説のほうが本文よりも文字数が多いうえにひとつの読み物となっている。「メタな世界のほうがでかい」ということである。確かに、よく考えるとたいていのものごとは、メタの世界のほうがでかい。なるほどなあと思う。そして、最新作読む、と書いておいてアレだが、じつはまだ読んでいない。巻末QRコードが確かにワークしていることを確認して、そこでいったん一息入れてしまった。


先日、「主任部長面談」というのがあり、しかし主任部長とは誰かというとぼくのことであって、ぼくの面談する相手というのは院長と事務部長なのである。一年に一度、主任部長として部門のアレコレを院長や事務部長に報告するというものだ。このことを知人の会社役員に話したら「えっ、信じられない」と言った。おそらく、院長すなわち社長的存在とコミュニケーションするのが一年に一度というのが少なすぎる、という意味で信じられないと言ったのであろう。そんなわけないのだ。駐車場や廊下で会って挨拶するし、事務部長ともけっこう頻繁に相談事をしている。職場が公的に決める「面談の場」という、堅苦しくしかつめらしい場所が一年に一回あるということを「信じられない」と断ずる程度の人なのだなと思うし、それはまあわからなければ無理もないだろうなと思う。今ふと思い付いたことだけれど、何かを見て「信じられない……」とつぶやく人の9割は、単純に「自分の暮らしている領域以外の知識が全く足りていないことを自分で受け入れられていない」のだと思う。他人の庭を信じることはできないのが普通だ。それを受け入れられない人ほど「信じられない」と言う。



東京での文フリ(文学フリマ)が先日終わった。過去最高の規模だったとの話である。我がTLにも幾人かが参加したと見え、文フリで買った本というハッシュタグの元にたくさんの見なれない本が並んでとても楽しそうだった。ぼくはもう何年も、「いずれ文フリにフラジャイル全話解説の同人誌を出します」と言っているがちっとも進んでいない。具体的にはまだ3巻の途中までしかできていないのだ。こんなことでは、令和5年5月23日現在「25巻」まで出ているフラジャイルの全話解説を終えるまでにあと20年くらいかかってしまうことになる。20年も経ったらフラジャイルはきっと75巻くらいになっているだろう。そうしたら全話解説を作るのにまたそこから40年くらい経ってしまう。そしたらフラジャイルは125巻に達しているだろう。原作者、マンガ家、読者(ぼく)の誰が先に倒れるかのチキンレースとなる。もう少しペースを上げなければいけない。仕事を減らしたい。減らしてフラジャイルの解説本の原稿を書くのだ。しかしその前にゼルダをクリアしなければいけないのである。まるで夢のような話なのだ。