2023年5月11日木曜日

マリオの映画見たい

noteあたりではしばしば、「映画をみることで、自分とは異なる人生に没入することができるのがいい」という趣旨のことを読む。それは全くその通りだな、と思う。

で、話がちょっとずれるのだけれど、映画をみてごくたまに、「自分の人生そのものが映画化されることはないんだよなー」という謎の感情が湧いてくることもある。つまり、自分の平凡な人生は映画にはなりようがないな、みたいな。あきらめ。卑屈? なんかそういった感情がちょっとだけ。美男美女が艱難辛苦の末に熱い抱擁を交わすストーリーにどう感情移入しろと? みたいな話。

さて、今公開中の「マリオの映画」を見に行った人たちの感想を読むと、これは今までの映画の感想とはすこーし違うっぽいなあと思う。「俺たちが知っているマリオがそのまま映画になってる!」「なんだかんだで私たちはマリオの経験をいっぱい積んでいたんだなあってことをあらためて思い出した」「スクリーンに出ているものがいちいち『あれだ!』ってわかる体験って久しぶり」みたいな。

似たような感想は、「原作が先にある映画」でも出てくると言えば出てくる、鬼滅の刃やスラムダンクの原作が好きな人が「そうそう! そのシーンを劇場で見たかったんだよ!」と言うのと近いかも?

でも、そういうのとマリオの映画は本質的に違う気もする。炭治郎やら煉獄さんやら宮城リョータをマンガで読んで知っている人が、再現性異常~と言ってよろこぶのもすばらしいことだが、マリオは、何せ、「自分がマリオだったことがある人」がみて喜んでいるのだ。

ぼくらは炭治郎であったことも煉獄さんであったことも宮城リョータであったこともないが、マリオなら演ったことがあるのである。それを踏まえてのNintendoのCM「It's you, Mario」なのだ。マリオを映画で見るというのは、これまでならほとんどの人にとってあり得なかった、「自分の人生がそのまま映画になったものを見る」という体験なのだと思う。すでに同じようなことを言ってる人もたくさんいそうだな。だってマリオだからな。みんなマリオになったことがあるんだもの。