患者が病院を訪れる。医者は、問診を行い、検査を出し、生活方法を指導したり薬を出したりして、患者とともに二人三脚をはじめる。
時間とともに、たいていの病気はよくなっていく。
しかし、ときに、患者の病気がなかなか良くならないことがある。薬が合わないのかも、と思って別の薬を試してみたりする。あるいは、もっと別の病気なのではないかと思って、「最初の治療が効かなかった」という情報を加味して、検査を追加し、病気を細かく調べ直していったりもする。
事細かに調べ直した結果、「どうやらA病ではなくて、B病のようだ」と考え直すことがある。A病に対する薬をやめて、代わりにB病に対する薬を出す。
すると、それが効く。なるほど、本当はB病だったのだなとわかる。
患者からすると、おいおい、最初から一発でB病と診断してくれよ、という気持ちになる。でもこれはけっこう難しいことなのだ。
唐突ですが、シルエットクイズをやりましょう。これは何の動物でしょうか?
ある動物の一部分です。おわかりになりますか?
わからない? ではもう少し詳しく見てみましょう。どうやって詳しく見ますか?
もうちょっと広い範囲を見てみたい? OK、では情報を広げてみます。
はい、広げました。だいぶはっきりしています。ぼくはわかるよ。これ。答え知ってるから。でも皆さんはどうでしょうね。
見る範囲を広げればもう少しわかるかと思ったでしょう? たとえば、動物の顔の一部だとしたら、範囲を広げたらいずれ目とか鼻とかが出てくるもんね。見える範囲を広げるってのは確かに重要だよね。
でも、今回の場合は、もしかしたら、範囲を広げるんじゃなくて、別の検査……じゃなかった、画像処理をしたほうがわかりやすいかもなあ。
大サービスです。色付けてみましょうか! シルエットクイズじゃなくなるけど!
はい、どうぞ!
さあ、これだけ検査をしたんだからそろそろわかってほしいなあ。ぼくは完全にわかりますよ、これ。どう見てもそうじゃん。あっでも、答えがわかってないで見るとどう見えるのかな……。
ほっそい馬とかじゃないです。
わかんない? じゃあもっと検査を……じゃなかった画像処理を追加しましょう。もっともっと、広い範囲を見せてほしいですよねえ。
はい! もうわかりましたね。いやあ、時間かかったなあ。
……いやあ……まだわかんない人いっぱいいそうだなあ、と思った。答えを出そう。これはシカである。
最初の段階では、色がわからないシルエットになり、ツノの部分だけが、上下ひっくり返って表示されていた。
答えがわかってから見ると、一番さいしょの小さい画像はともかく、次の画像は「確かにツノだなあ」とわかる人も多いのではないか。
でも、答えがわからないで見ていたみなさんは、3枚目でも、なんなら4枚目でも、「なんだこれ? 足か? 細い馬か?」くらいにしか思っていなかった可能性もある。
さらに言えば、3枚目の画像で「細い馬!」と答えを言ったとして、そこでピンポンともブーとも音が鳴らず、正解がわからなかったらどうか。
答えは知らんけどまあ「細い馬ってことにしとこ」ってなって、その後の治療がはじまる……じゃなかった、それでクイズは終わる。
あくまで、「これは細い馬ではありません」とぼくが答えの一部を提示したから、回答者はその後も「じゃあトリの足かな」「いや、何かのツノだろう」と、次の推理をし続けることができるのである。
答えがわかってから振り返ると、最初に「画像の見える範囲を大きくする」のに加えて、「画像を回転して見せて欲しい」と言えば、もう少し早い段階で答えにたどり着いたかもしれない。少なくとも4枚目の段階でピンと来た人は多かったろう。
けれど、シルエットクイズで「画像を回転させて考える」というのは、必ずしも一般的な発想の範囲ではないと思う。
我々には、習慣やしきたりなどによって、「こういう問題が出たら、まずはこうやって考える」という順序がある。これを最初から崩せる人というのはあまりいない。クイズマニアだとそういう訓練を受けているかもしれないが、診療の現場はクイズではないので、難問を他人より早く解くためのテクニックではなく、できるだけ多くの患者に適用できる一般的な考え方がまずは好まれる。
だから最初からシルエットを回転させるような発想には至らない。
けれど、答えを見てからだと、「あーあの段階で回転させていたらなー!」と、後付けでいろいろ言うことができるのだ。
医者の診断もときにこれに近い。リアルタイムで、いつも通りに検索していると、思った通りの答えにたどり着かないことはままある。そして、「この答えは違いますよ」という情報を得てさらに検索を進めることで、つまり時間をかけることで、なんとか正しい診断にたどり着ける。それをあとから振り返って、
「バカだなあ、ひっくり返ったシカのツノのことだってあるんだから、まずは画像を回転させなきゃ!」
と言えるのは、後付けだからだ。
医者の世界には、「後医は名医」という言葉がある。
「なかなか診断の付かない難しい病気にかかっており、いくつもの病院で検査を受けたがわからなかった。しかしその後、専門的な病院に紹介されたら一発で診断がついた。やっぱり専門家はすごいな」と解釈されるケースをたまに目にする。患者は後に診た医者のほうを尊敬し、感謝しがちだ。
でも、じつは「患者を診るのが後になればなるほど、診断は有利」という側面がある。ぼくも含めて、大きめの病院でさまざまな人から相談を受ける医者は、常に「後に診る医者だから、先に診る医者よりも有利なんだ」という気持ちを忘れてはいけない。そうしないと、「前医はこんなクイズも解けなかったのか、無能だなあ」みたいな、ひどい思い違いをしてしまうことになる。
「後医は名医」というのは、つまり、警句なのだ。自戒のための。慢心しすぎないための。そもそも、後に診る医者は、前に診る医者よりも、正しい診断に近づきやすいのだから、その有利さに頭を下げつつ、実際に名医で居続けられるように一層の努力をするべきなのだ。