2023年5月24日水曜日

病理の話(779) 語りかけてくるような診断

語りかけてくるような教科書が好きである。

と言っても、口語体で書いてあればよいというものでもない。

ら抜き言葉をたまに使うとか、フィラー(「まあ」「えー」「そのー」などの調子をとる声)をあえて書き込むだとか、なんとなくくだけた文体で書かれた教科書が、最近は増えた。親しみやすさは増すと思うが、必ずしも読みやすいわけではない。

どちらかというと、「きちんと対象読者のことを意識して書かれているかどうか」がカギだ。


アカデミアの記録の中には、たとえ誰も読まないだろうと予測されても、とにかく書いて残しておくことが大事だと言わんばかりの堅苦しいものが多い。これに対して、はっきりと読者の顔や反応を思い浮かべて書かれた教科書がある。項目の配置順、小見出しの頻度、図表の入れ方、Q&Aコーナーやコラムなどの分量。これらが、「読者がわかりやすいと感じるように」配置されているとぐっとくる。「著者の知識を披露するため」だけだとけっこう読みづらい。

「この本を開く人は、いったいどういうタイミングで、何に困って読もうとしているのか」が意図された教科書というのは本当に美しいと思う。

ときには、読んでいるこちらの顔をまるで見通しているかのように、「あっ、今の説明ちょっと難しいな」と感じたところですかさず解説を挟んでくれるタイプの本がある。

ボリュームたっぷりの知識が表になっているとき、「これ、全部覚えるのは大変だな……」と感じた次のページに、著者自身の経験、痛い目に遭った記憶、こういう気づきで診断が先に進むんだよといった、実務運用上の知恵が書かれていたりすると感動する。

読んでいて得られるものが多い。
ぐいぐいと深い所まで連れて行ってくれる。



まあでも、お堅い本にはお堅い本なりの役立ち方があるので。語りかけてくる本だけになればいいとも思わない。

国語辞典を集めて読み比べて楽しむタイプの人もいるように、医学辞書を端から通読して知恵を高めていくタイプの医者もいる。

いろんな本があるからいいのだ。みなさんもこれについては納得していただけるだろう。





さて、今日は「病理の話」なので、ここからは病理診断の話をする。

病理医が顕微鏡を見て、患者の細胞に診断を付けるとき、「病理診断報告書」を書く。いわゆる病理レポートである。

このレポートにも、文体がある。ぼくはレポートの文体を、主治医の性格や担当科のしきたりなどにあわせて、使い分ける。

まず、手術検体は基本的に箇条書きからスタートする。

病変サイズ:
病変の形状:
組織診断:
分化度:
深達度:
浸潤様式:
脈管侵襲:
断端:

など。病気の種類によって異なる。

病理医の中には、箇条書き項目を最後に回して、まずは細胞のようすを説明するところから始めるタイプの人も多い。

しかし、手術した主治医の大半は、まず「箇条書き」を読みたがっている。だからぼくは箇条書きの項目から書く。



なぜ執刀医は箇条書きの内容を先に知りたがるのか? それは、病理レポートを見たあとの行動と関係がある。

彼らは、病理レポートに書いてある内容から、すばやく要点を切り取って、自分の所属する学会の様式にしたがって記録を付けなければいけない。

消化器外科、婦人科、耳鼻科、泌尿器科、心臓血管外科など、ほとんどの科では、自分たちが行っている手術ごとに「病理レポートのこの部分をメモしろ」と指定されたデータベースが運用されている。このデータベースを埋めるのには労力が要るし、人に任せると病理レポートを自分で読む機会を失うので、執刀医が自らやっていることが多い。

患者ごとの細かな差異は、患者にじっくり説明をするときまでに情報収集すればよい。しかし、データベースへの登録作業はある意味機械的に行われる。この部分でつまづくと、仕事に余計な時間とストレスがかかる。

そこで、病理診断が毎回同じ書式で箇条書きになっていると、執刀医はレポートが読みやすい。「この病理医はここにサイズを書いてくれるんだよな」と、慣れてもらえればいいなと思っている。だから、平時はなるべく、書式をいじらずに同じ書き方をする。印刷すればいつも同じくらいの位置に同じ内容が書いている、みたいな感じだ(最近はモニタで見るけど)。



ただし、外科医などが手術の前に、このように話しかけてきた場合……。

「あー市原さあ、今度の○曜日に手術する人、あれすごく気になるんだよねー。癌は癌でいいと思うんだけどなんかいつもと感じが違うのよ。手術のあと、病理で見て何かわかったら教えてね」

このように、手術をしながら「この癌はなぜいつもと違う挙動を示しているんだろう」と執刀医がいつもと違う興味の持ち方をしているとき。

ぼくは病理レポートを、「箇条書き」から始めず、なんらかの説明を先に入れるようにしている。そういうときは書き方を変えるのだ。



所見: 非典型的な病像を呈する○○癌です。□□が特徴的で、▼▼▼。詳細は本文の後半で記載します。

(後略)


箇条書きの前に、この但し書きを入れるか入れないかで、「病理レポートをきちんと読んでくれるかどうか」がだいぶ変わる。実際に執刀医たちに話を聞いてみたが、あのレポートの書き方はわかりやすかったわ、と、わりと評判が良い。



ほか、手術ではなく「生検」と呼ばれるタイプの病理診断では、箇条書きにせずに文章にしたほうが好まれるケースもある。

主治医、科、患者の病気などによって書き方を少しずつ変えるのがよいと思う。



そんな、めんどくさい……と思われるかもしれない。あまりに病理診断のプロセスがめんどうだと、病理医のモチベーションが落ちて診断効率も下がり、ミスも起こしやすくなるから、ほどほどにしておいたほうがいいのかもしれない。けど、病理医のためではなく主治医のため、さらには患者のためを思うなら、できるだけ読みやすいレポートを書くのがぼくらの勤めだと思う。ちゃんと読み手に向かって届ける気がある病理レポートは美しい。個人の感想です。