ここ1年を振り返ってみると、日本医学会総会の広報を手伝ったり、ほかの医療者のイベント告知を手伝ったり、ときにオンラインイベントで誰かと対談したりしていた。全体的にまじめにおとなしく暮らしていたということだ。そして、Twitterのフォロワーはぜんぜん増えなかった。
しかし、5月8日に「5類」で社会が盛り上がったタイミングくらいから、なぜかフォロワーがぐっと増えた。原因はわからない。少なくともぼくはTwitterの運用のしかたを変えていないし、とりわけ何かがバズったということもないので不思議だった。ゴールデンウィークで社会の何かが変わったのかもしれないし、たまたま凍結されていた人がこのあたりでたっぷり解除されたのかもしれない。そしてぼくはなぜか、「5類になったらフォロワーが増えた」という気持ちになった。風が吹いて桶屋が儲かったよりも強引な話だけれど、実感としてはそうなのだ。だからそのように書いておく。
この1年を振り返ってみると、少なからぬ量のひとびとが、「医者はもういいよ」「医者のいうことはもう聞きたくないんだよ」というモードに入っていたように思う。特に、第8波が終わって、次は5月の上旬くらいに第9波がくるだろうという予測が出された4月の上旬くらいから、あきらかに医者に対する風当たりが強くなったと感じた。「今回ばかりはもう医者に好き勝手なことを言わせたくない、GWで旅行に行くといったら行く! 宴会をするといったらする! 5類に入るといったら入るんだ!」みたいな雰囲気を、他方面から受け取ったのは果たしてぼくだけだったろうか? 「もう黙っててくれ!」みたいなことを直接投げかけてくる人もちらほらいた。
おそらく、医者はこれまでにないほど鬱陶しがられ、また怖れられていた。「連休明けに5類になるからといって、ウイルスの性質が変わるわけでもなく、感染対策を減らしていいとも思わない」……みたいなことを、医者が言い出して、連休がだいなしになり、5類もとりやめになるのではないかと、少なからぬ人びとが危惧していたのかもしれない。しかし、実際のところ、「5類になっても気を引き締めたままでいましょう」なんて、ぼくは言わなかったし、じつはけっこうな量の医者も言わなかった。これはあきらめたとか、いじわるをしたとか、義務を放棄したというわけではなくて、なんとなく、もう伝わる人には伝わっているから、これ以上言わなくてもいいかな、みたいな感じだったように思う。
そもそも、言葉と態度の悪いひとたちは、5類になる前からずっと医者を叩いていたし、ワクチンもてきとうで、飲み会にも行きまくり、こっそり感染してもラッキーなことに無症状で、だからまわりにうつしまくって、でもそのことに気づいても気づかないふりをしていた。5類になるだいぶ前から、とっくに引き締めなんてなかった。そんな人たちに向けて、医者がわざわざ「5類になっても気を引き締めて!」なんて言ったところで、恨みを買うばかりで意味なんてない。逆にきっちりしている人は5類になっても変わらずにきっちりやる。となれば、誰にとっても5類なんて関係ない。だからぼくは特段のメッセージを出すこともなく5類の日を迎えた。ひとことだけ、「別に我々はこれからも変わらない」というツイートだけをしたけれど、それが大してバズったわけでもない。
しかし、なんか、フタを開けてみたら、「5類」は明らかに何かを変えた。ウイルスは変わってない、感染対策も変わってない。しかし社会の空気が一気に変わった気がする。タイムラインは前より少しだけ狂乱の度合いを高めた。そういえば、岡田育さんという古参のツイッタラーは、あいつぐイーロン・マスクのTwitter改変に業を煮やしてTwitterを去った。つまりは5類以外にもいろんなことがあったのだけれど、そういう「ざわめき」みたいなものが、5類のタイミングでドカドカやってきた。そしてなぜかぼくのフォロワーは少し増えた。
岡田育さんがTwitterをやめた日記を読みながら、かつて何度も読み返した「Sim City」の攻略本のことを思い出した。もう詳しくは忘れてしまったけど、たしかこの本の中に、「原発はぶっ壊れたけどぼくはまだテームズ川のほとりに住んでいる――」みたいなザ・クラッシュの歌詞が載っていたのだ。Twitterはぶっ壊れたけどぼくはまだタイムラインのほとりに住んでいる。「街」をテーマにしたあの詩が正確にはいったいどんなものだったのか、それが知りたくてぼくはネットで古本屋をあさり、1991年の攻略本を250円くらいで購入した。そのうち届く。モノポリーの世界チャンピオンのエッセイや、しりあがり寿のマンガが掲載された、あの素敵な攻略本が、ぼろぼろに日焼けした状態のあまりよくない状態のやつが、相変わらずほとりに住んでいるぼくのもとにもうすぐ届く。