2023年7月5日水曜日

病理の話(794) 病理診断書を小癪にデザインする

ぎりぎり病理の話だとぼくは思ってるんだけど、多くの人は「それは病理の話ではないよ。」と言いそうなことを、今日は書きます。



医療文書は正確性が大事だという。それはもちろん患者に不利益がかかるからだ。

たとえば病理医であるぼくが、顕微鏡で細胞を見て、がんがあるのに「がんはありません。」と報告書(レポート)を書いたら大変なことになる。患者のがんは放置され、後日、大きく育ってしまうかもしれない。

当然、我々は厳密にレポートを書く。血眼になって真実を正しく書く。


しかし、ただ正確に、厳密に書けばいいというものではない。


たとえば、

「断端において癌陰性。」

みたいなレポートの書き方をする病理医は、やっていることは正確なのかもしれないが、個人的には「よくない」と思っている。

簡単に用語を説明しておくと、断端とは臓器を切ったときの「一番はしっこ」の部分をさす。

そこに「癌陰性」というのは、癌(がん)が存在しないという意味である。

では癌が存在するときは何と書くか? この医者は、「癌陽性。」と書くのだ。


癌陰性/癌陽性


ぱっと見たときに、「モニタの黒っぽさ」が似ている。陰と陽なら見間違えないよ! と元気なあなたは思うかもしれない。しかし、

「断端において癌陰性。」

「断端において癌陽性。」

これらは、文字数もいっしょだし、ぱっと目に入ったときの印象もそんなに違わない。徹夜明けの医師なら見間違えるかもしれないではないか。


手術で臓器を切除したときに、端っこの部分にがんが残っているかいないかなんてのは、めちゃくちゃ大事なことだ。一番大事であると言ってもいい。

そこをこんなにわかりにくい平板な表現で表していいと思っている病理医は性格が悪い(?)。


たとえばぼくなら、どうしてもこういう表現を使いたいときには、こう書く。

「断端において、癌陰性(-)です。」

「断端において、癌陽性(+)です。」

全角のカッコとプラス/マイナスを使って強調をかける。これで見間違える人は激減する……と思う。



ほかにも、忙しい主治医がぱーっと読み流してしまうと困るなあ、というところにはいろいろと工夫をする。あえて日本語と英語を併記するなんてのも効果的だ。


たとえばこんな診断文のことを考える。

「この病変は胃底腺型腺癌ではなく胃底腺粘膜型腺癌です。」

一読して、「は?」となりそうだ。二度見しないと意味がわからないし、どこが違うかがわかっても「ふーん」となるだろう。ふーんとなるのはあなたが病理学を知らないからではない。知っていてもふーんとなるくらいにはマニアックな文章である。

こういう文章が自分の指先から生成されたとき、自分で読み返して、ふと気づく。

「なんか目がすべりそうだなー」

そして、たとえばこのように変える。

「この病変は、胃底腺粘膜型腺癌 adenocarcinoma of fundic gland MUCOSA typeです(胃底腺型腺癌 adenocarcinoma of fundic gland type」ではありません)。」

……余計わからん、と思われた人もいるかもしれない、ごめんなさい。ぼくは普段レポートの中にそんなに日本語と英語を併記するタイプのレポートを書かないので、たまにこういうことをすると、読む主治医のほうが、「うわっ市原がなんか気合い入れた! いきなり英語きた!」とびっくりして、ちゃんと読んでくれるという仕掛けなのである。


この……「普段はちょっと書かない病理医が、いざというときにはいっぱい書いて説明してくれる」というのは、単なる萌えポイントではなくてレポートを読む人の目を惹くために必要なギャップだと考えている。いつもいつも長文のレポートを書いている病理医もいるがそれはそれであまりよくない(長文を読み飛ばすことになれた主治医を量産することになる)。

技術を駆使してデザインし、レポートを正しく読んでもらうことが大切だ。なんかコシャクな技だよなーとは自分でも思う。