2023年7月14日金曜日

インコの飛び去ったあと

本を読むスピードが遅くなった。一冊に二時間向き合うことが難しくなり、30分くらいずつ細切れに読むから数日かかる。雑に書くと「気が散る」ということなのだが、ほかのものに興味が目移りするというよりも、本当に字面どおりに「気が散逸する」かんじだ。

エヴァンゲリオンだったかガンダムだったか忘れたけれど、モニタの中にコサインカーブみたいなやつが複数表示されて、それぞれの波が左右に動いてマージしたりしなかったりする映像があるだろう。オタクの大好きなやつだ。ぼくの精神もああいう感じで、ぴたりとピントがあったりずれたりをくり返しているような感覚である。

じつを言えばこういうブログを書いているときもそうだ。だいたい段落2,3個を書くたびにほかのことをするようになった。メールを見たりパワポをちょっといじったりしてまたブログに戻ってくる。その間、頭の中ではずっとひとつながりの音声というか音楽が鳴っていて、その音楽に合うような文章を書きパワポを作りメールに返事をする。

ある1時間でこなした仕事が3つあるとすると、あとで見返したときにその3つの仕事はだいたい同じ文体、同じテンション、同じルール、同じ人格で書かれている。そりゃそうだろ、と思われるかもしれないが一人の人の中には複数の文体や人格が混じり合っているものだとぼくは考えていて、それは経時的に変化するので、ある人格が主として存在する時間に片付けておきたい仕事が複数あるときには、どうしても、何かひとつに集中するということが難しくなる。


このような動き、流れについてはぼくが今さらダラダラと説明する必要もなくて、日本語にはそのものずばりの単語がある。

「気分」

である。気持ちは分かれておりその都度違うかたちで発動するのだ。「今は仕事をしたい気分」「今は休みたい気分」などと言うだろう。気持ちは分かたれているのだ。

そしてブログを書く気分のときにパワポをつくるとなんかいい感じになる。昔のぼくはそういう塩梅がわかっていなかったから、ブログを書くなら書くだけの時間にできたけれど、今のぼくは前よりも少しだけ物を知り経験を積んだために、ちょっとだけ打算的になってしまって、ブログを書く気分のとき、ほかにもこういうことをやっておくとあとで便利だぞ、みたいなことを考えてしまう。

そしてやっかいなことに、「本を読む気分」というのは、往々にして、気持ちがふわふわと置き所ない感じになっていて、油断すると散逸してしまいそうなニュアンスがあるのだ。「何かにぐっと集中できる気分」のときに本を読んでも逆に頭に入ってこない。温泉旅館に泊まった翌朝、チェックアウトまでの時間をつぶすのに宿の周りを所在なくぶらぶらするときの気分と似ている。「1時間20分あったから足湯に1時間10分いたんだよ」みたいなことをぼくはできない。あれもこれもと気持ちをばらばらにしておきたい。多くの気持ちが四方八方に飛び去ったあと、真ん中に残っているインコの止まる木の棒のような細い芯の部分に何が止まるかを考える、そういう時間によく本を読んでいる。