2023年7月19日水曜日

ギャル宇宙

『空に参る』がアニメ化されるなら主題歌は宇宙コンビニにしてほしい。鵯ソラの声優も宇宙コンビニのボーカルの人がやったら一番いいと思う。あのマンガは宙二郎だけプロの声優がやればいいのではないか。いや、マダンもプロがいいかな。


みたいなことを考えながら出勤をした。地下鉄を降りたら外の雨は上がっていたので傘を買わずに済んだ。『宙に参る』と宇宙コンビニの接点はなんなんだろうと少しだけ考えて、そんなのストレートに宇宙じゃん、と思い付くまでたぶん10秒くらいかかった。ストレートに宇宙。


ストレートに宇宙の話。ストレートに恐竜の話。ストレートに死の話。こすられすぎて、かえって真っ正面から語りづらくなってしまった話、言及しようと思ったら「今日はシンプルに宇宙の話です。」とか、「今さらですが恐竜についてお話しさせてください。」とか、「今、あえてじっくり死について語りませんか。」みたいな序詞が必要になる話。


話題によって、やりとりをスタートするのにかなりのエクスキューズが要る状態だと、対話の機会を減らしてしまう。我々は、まっすぐ語るのに恥ずかしさを伴うような内容を互いに触って確認するために、日頃からくだらない話で瞬間的に表層をなであうような関係を作っておくと便利だ。「何を話してもいいけどとりあえず集まっていることが多い場」が必要なのだ。


そしてそんな場を持っている人はめったにいない。これは社会のバグである。


たとえばかつてのギャルはそんな場をきちんと作っていた。見た目と行動をあらかじめ狭く絞り、その場に誰が来ても「前提」が一緒だから対話する資格は十分と見なして、あとは自分の数%にも満たない話題を表層的に交流させて緩い紐帯を保ち続けていく。


もしくは井戸端会議というのもそうだったのかもしれない。フネさんとおカルさんが低い垣根の左右にやってきて立ち話をするのも話題はなんでもよかったのだ。ただ場があるということ。


まあよくケアの文脈で言われていることだ。しかし、冷静に考えると、井戸端会議の中で宇宙の話を出そうと思ったらやっぱり「突然だけど宇宙がさ」のように、ある程度構えて話し始めなければいけない気はする。ストレートで、熱量が高くて、ちょっと重い話題というものは、場があれば語れるというものでもないのかもしれない。でも、場がなければ可能性をはかることすらできないのである。