2023年7月31日月曜日

積ん読と献本が嫌いすぎて嫌いすぎて

いわゆる「積ん読」するタイプではない。やむなく積んでも、なるべく早く読み終えたいと考えるほうであり、3か月以上本を読まずに積んでおくことはまずない。

一方で、「買うまでが読書」という言葉は大変よく理解できる。具体的にページをめくるかどうかなんてどうでもよくてまず買え! そして積め! 先に著者に金を送れ! という理屈はわりと好きである。しかし自分ではやらない。やらないというか積んだら読んでしまわないと気持ちが落ち着かない。自分のデスクに何かが未解決で置かれていることに居心地の悪さを感じる。

読まずに積んでおき、ちらちら表紙や背表紙を見て、いつか読む日に備えるというムーブは、ぼくからすると「書店でいつまでも買わずに眺めている本」と近い。あえて自分の部屋においておかなくとも書店においておけばいいだろう、という気持ちになってしまう。

こういう話をすると、本屋には「返本」の仕組みがあるので、自分でいつか読みたいと思ったらその時点で買って積んでおくべきだ、いつの間にか手に入らなくなるぞ、などと反論を受ける。でも積ん読している人だって結局、どこに積んだかわからなくなって読むのを忘れてゆくんだからいっしょだ。積みたいか積みたくないかという感覚が先にあって、理屈なんて誰もがあとづけで適当に用意しているんだから、積ん読する人とぼくとは根本のところでわかりあうことはないし、積ん読している人もぼくもどちらも万人がわかる理屈なんてもたずに性格の部分で好きなようにしているだけである。


ところがそんなぼくが、ちかごろは積ん読気味になっている。理由は明らかでゼルダの伝説のせいだ。いつもなら空き時間すべてで本を読んでいたけれど今は空き時間の半分くらいしか本を読めない。「積みゼルダ」も許せないのでしかたがない。単純にゲームの分だけキャパシティを越えた。そんなわけで読まずに積んである一連のシリーズがある。それは日本看護協会出版会から出されているNursing Todayブックレットだ。


https://jnapcdc.com/sp/ntb/


このシリーズ、たしか#10とか#11くらいまでは読んでいる。いいシリーズだ。しかし今ぼくのデスクの横には、#12「看護管理塾第7章/サルの罠」、#13「認知症と梗塞 尊厳回復に挑むナースたち」、#14「整理の貧困 #peroodpoverty」、#15「認知症高齢者とセクハラ」、#16「戦争のある場所には看護師がいる」、#17「コロナがもたらした倫理的ジレンマ」、#18「災害と性暴力」、#19「孤独と孤立」、#20「妊娠を知られたくない女性たち」が一気に積んである。抱えすぎである。一冊ごとはすごく薄くて読みやすいのに、いっぺんに手に入れたせいでかえって読み進められず、もう数ヶ月くらい積んだままだ。これが本当にストレスだ。

そしてこれらは献本なのである。いっぺんに手に入ったせいでいっぺんに積んで、手が出せないのである。

ぼくはもう何年も、Twitterなどで「献本はお断り 事前連絡なしに送ってもらった本はすべて送り返します」と言って、実際に知らない編集者などから送られた本を元払いですべて返品し続けている。送料だけでこれまでに20000円以上は自腹を切っているはずだ。その多くには手書きの手紙でおわびを一筆添えている。「事前のご連絡なしにいただいたご献本はすべてご返送申し上げておりますのでどうぞご理解ください」みたいなやつだ。一度この手紙を送れば次からその編集者は本を送ってこなくなるし、医療系の版元はほとんどこれを理解してくださっており、新刊が出てぼくに読ませたいときはメールで「出ました」とだけ送ってくれるようになる。こちらのほうがありがたい。自分で買って自分で読むほうが絶対に自分の中にスッと入ってくる、それは自分のタイミングで読めるからだ。

こうしてかたくなに献本おことわりムーブを貫いているのだが、じつは2019年に、日本看護協会出版会のNursing Todayブックレットシリーズの1冊目を、うっかり受け取ってしまった。送ってくださった方にSNS医療のカタチの選書企画かなにかでお世話になった直後で、いきなり返本はさすがにちょっと申し訳ないと思ってしまった。かつ、実際に読んでみたらすごくおもしろかったので、今でも送ってくださったことに感謝をしている。けれども、こういう例外をもうけるとろくなことにならない。

最初に受け取ってしまった名残から、日本看護協会出版会のシリーズだけは献本を受け続けている。どのシリーズもはずれがない(特に #5 「看護学概論」がすごかった)のだが、毎回自分の読みたいタイミングではないときに送られてくるので、読むのに非常にエネルギーがいる。申し訳ないがここからは感謝ではなく愚痴の話になる。

今回まだ読んでいない #12 以降のシリーズはある日まとめて送られてきた。はっきり言ってぼくの性格からするとトータルで感謝よりも迷惑のほうが大きいのである。かつ読んだらおもしろいに決まっているので結局読むのだが、ゼルダの時間を削らないととうてい無理なのだ。それが悲しく、つらく、本当にストレスで発狂しそうなのである。ぼくのリンクは今、とある空島でゴーレムを殴っている真っ最中にセーブして停止している。それがもう2週間くらい続いている。リンクもそろそろ手足がしびれてきているだろう。ふびんでならない。

献本という文化は悪だ。異論はぼくのいないところで勝手にやっていてほしい。どうせ後付けの理屈を振り回すのだろう。だからぼくも自分にしか通用しない理屈を存分にふるわせてもらう。

積ん読するタイプではないぼくが、自分のペースで買えなかった、あるいは買わなかった本を受け取り続けることで抱えるストレスは、積ん読できるタイプの人には理解ができないだろうからこうまでして丁寧に語っているのだ。「読み切れない本を抱えるストレス」を解消する方法はふたつしかない。「自分のタイミング以外で本を増やさない」+「とにかく好きなものを好きなようにできるだけ読む」。献本はその両者に抵触するから悪なのだ。倫理にもとっている。

日本看護協会出版会の方は何も悪くないですし、いつもいい本をほんとうにありがとうございます。でも次からは本が出たという情報だけメールしてください。たとえば医学書院のメガネのイケメンなどは、自分が気になった本があると文字通り前略形式で「こういう本が出ました」と書名だけを送ってきて(アマゾンのリンクすら貼らない)、あとは涼しい顔をしています。そういうのが一番いいです。もうかんべんしてください。しかしこのシリーズおもしろいんだよ。それがまた輪を掛けて腹が立つのだ。