病理学がわりと苦手なジャンルの話である。
我々病理医は、「ダイナミックに臓器が動くようす」を仕事で観察する機会が少ない。心臓が動いているさまを見ないし、肺がふくらんだりしぼんだりするところを見ないし、腸がウネウネぜん動しているところを見ない。
なぜなら、我々が仕事の対象としているものは、体から取り出してきた臓器・細胞だからだ。体から取り出した時点でたいていの動きは止まってしまう。まして、ホルマリン固定して、染色をして、とやっているうちに完全に止まる。
だからたとえば「心臓の先端部の動きがちょっと悪くなる病気」みたいなものを病理医がドンズバで診断するにはかなりの工夫が必要である。
「うまくエンジンがかからなくなった車を工場に持っていって原因を調べる」のにちょっと似ているかもしれない。ボンネットを開けて部品ひとつひとつを見ている間、エンジンをかけてはいけない(※あぶないです)。実際にエンジンがかかっている様子を見ずに、どの部品がどうおかしいから車の挙動がおかしくなったのかを、知識と経験と形態学的な変化を見極める目とでなんとか明らかにする。
でも車の場合は、おかしな場所を修理したらまたエンジンをかけてみるだろう。「あっ、直った直った。」みたいな感じで。人体の場合はなかなかそうもいかない。肺を取り出してホルマリンで固定して、いろいろ調べて、「なるほどこの血管に異常があったのか。」みたいなことを解き明かして、「じゃあ体の中に戻してもう一度動かしてみよう」とはならない。
もちろん車でもそういう「取ってしまったらおわり」な場面はあるとは思うが、人体における検査の場合は、「取って調べるからにはそれなりの覚悟が必要」なケースがかなり多いのである。
運動をしたあとに脇腹が痛くなるのは、体が筋肉などに血液をいっぱい送るコントロールをした結果、脾臓や大腸へ流れ込む血液の量が相対的に落ちるために臓器が悲鳴をあげるからだ、と言われている。
しゃっくりは横隔膜がときどきブルンとけいれんした結果、肺がけいれんした横隔膜に押されて意図せずに息を吐いてしまうから起きる。
こういった「ダイナミズムがもたらす人体のふしぎ」については顕微鏡で細胞を見たところで得られる情報は少ない。
しかし、病理医はどこかのアホによって「Doctor's doctor」などと呼ばれて持ち上げられているので、臨床医が「わからない」と思ったらいろいろ質問を受ける立場である。
そこで、そういう期待に応えるべく(?)、ダイナミズムについてもわりと勉強をすることになる。心臓弁膜症なんて病理ほとんど関係ないけど勉強しておかないといざというときに困るんだよ。