2023年7月12日水曜日

ありがとうTwitter

そういえばと気づいたのだがマスクを長時間しても耳が痛くなくなっていた。3年間で耳の裏の皮膚が強くなったのだろう。あっ、今さらに気づいたのだけれど、ぼくは20年くらい前には「皮フ」と入力していたはずだ。すっかり「皮膚」派になってしまった。そしておだやかに気づいたこととして、「気づいたのだが」→「気づいたのだけれど」→「気づいたこととして」のように、語尾がかぶらないように無意識に言い回しを変えるようになった。そういう年の取り方をしている。


文字数こそ多いが、以上の文章は、完全に「Twitter文体」だなあと思った。なにが、と言われてもうまく説明できないのだが、テクスチャがツイのそれ。


このブログが公開されるころにはTwitterは元に戻っているのだろうか。とりあえずこの記事を書いているころのぼくは、APIが制限されてタイムラインを気楽にチラ見できない環境になり、課金しないとTweetDeckも使えなくなると聞いて、いつのまにかソーシャルネットワークと強固に癒着していた自分の暮らしを毎日のように見直して、とてもさみしい気持ちになっている。

「これ」は間違いなく依存だったと思う。

「そこ」から無理矢理はがされてこんなに切ない気持ちになるとも思っていなかった。ちょっと意外だった。こんなにかあ、と。

実際Twitterが使いづらくなったからといって、不便にはなっていないし、不健康にもなっていない、しかし、ただ、切なくてさみしくてやりきれない思いが日々ふくらんでいる。泣きそうにはならない。ただ肩を落としている。いったいなぜこんなにセンチメンタルな感情に襲われまくっているのか、正直理解しがたい。お気に入りの喫茶店が閉店したときもここまで締め付けられるような悲しみは感じなかった。諸行無常の本来の代謝速度を上回る急激な別れに精神がついていけてない、といったところか。


ぼくは本当に病理医「ヤンデル」だったのかもしれないと最近思う。「ええ~、ヤンデルってそれは病んでいるってことなんですかあ?」と40代、50代の人たちにニヤニヤ突っ込まれていたころは、「(いえ、病理の病です)バカじゃないの? んなわけねぇだろ」とタテマエとホンネを間違えながら毅然として対応していたものだけれど、今はぼんやりと思う。たしかにぼくはTwitterと接合して癒合して、それは本当に「病み」の一種だったのかもしれないと。つまり今の切なさは病気が癒えたために訪れた? うーん、それはそれで変か? でも、うん、なんとなくなのだけれど、人はある程度病んでいてこそ精神の平穏が保たれるということも、なくはないのかな、ということもちょっとだけ思う。筋肉痛を愛でる気持ちというか。二日酔いに苦笑する気持ちというか。

アカウント名を決めたとき、まあこれはいくつか考えた名前の中から投票で選んだものだったのだけれど、「病んでいる」ことをアイデンティティにする人たちを軽くひっくり返したいという気持ちがぼくの中にはあった。「ヤンデル」という名称にそれまでと違う何かを感じる人がひとりでも増えたらおもしろいなあくらいの矜持はあったのだ。しかし、Twitterにおけるエントロピーが爆増してカオスに突入していく、そのエッジに立ってよろよろと、瀑布の水しぶきを見下ろしながら体を傾けていくかのような体感の真っ最中に、ああ、ぼくはもしかすると、ここでちょっとだけでもいいから病みたかったのかもしれないな、というくらいの振り返りをしてしまう。健康に生きろという圧が社会からやってくる。ぼくはそろそろ、いよいよ、軽い闇を抜けて光の責任の中で胸を張る側に回らないといけないかもしれないのだ。