2023年7月7日金曜日

病理の話(795) 病理医のコミュニケーション

「上手にコミュニケーションをとっている病理医」として評判になっている人を観察していると、主に二種類のタイプにわかれる。まるで違う2パターン。


【パターン1:偉い】

教授。会長。会頭。すごい海外ラボに留学していた(もしくは今もいる)。すごい論文を書きまくっている。などなど。まとめると「偉い」ということだ。偉い人の言うことは周りの人がふんふんと話を聞くのでコミュニケーションが進む。

えー? と疑問に思う方もいるだろう。でもぼくはこれはかなり真実だと思っている。なぜそう思うかというと、「某教授とよく似たしゃべり方をして、内容もけっこうおもしろいんだけど、まだ偉くない人」がしゃべっても誰も聞いてないというケースを見たことがあるからだ。ああ、これ、言ってることはあの教授と一緒なのに、誰も聞いてないのは単純にこいつが「話を聞きたくなるような経歴」を持っていないからなんだろうなあ、と感じてしまった。さみしい話である。

自分が思うままのことを好き勝手に伝えたいと思ったら偉くなるしかない。


【パターン2:むしろ下僕」

電話をとるのが早い。いつもニコニコしている。小仕事を頼むとすぐやってくれる。忙しいはずなのにいつも臨床のカンファレンスに出ている。メールの返事も早い。敬語を絶対に崩さない。まとめると「下僕」とか「使いっ走り」とか「奴隷」(言い過ぎ)。こういうタイプはめちゃくちゃ便利使いされてボロボロになっていくのだけれど、10年くらい続けているとコミュニケーション強者になっている。

いやいや……それは……と思う人もいるだろう。でもこれも確実によく見る風景だ。こいつ絶対体と家庭を壊すだろ、という働き方をしている人。自分より上だろうが下だろうがとにかく他分野の人の依頼をよく聞いて、誰かの代わりに働いて、自分の仕事もしなきゃいけないからいつも残業まみれでコマネズミのようにくるくる消耗。こういうタイプがいつの間にか病院や施設の中で最強のキーパーソンになっていたりする。ただしなっていない場合もある。単純に疲れて潰れてしまう。ぼくは生存バイアスしか見ていないわけではない。死んでいった善人達のことも覚えている。


というわけで、「上手にコミュニケーションをとっている病理医」とされているのはだいたい上記の2パターンだ。めちゃくちゃ偉いか、めちゃくちゃ下僕か。


それ以外の病理医は、「コミュニケーションになんらかの問題を抱えている」、と言われがちである。臨床医が電話をかけてもいまいち乗ってこない。病理の写真を頼みたいのに「今ちょっと時間がないので……」みたいにシブい顔をされる。自分の専門性以外のことには乗ってこない。相談しても要領を得ない……。



……。



まあそろそろ気づいてほしい。それは必ずしも、「病理医側に問題がある」わけではないのだということに。



「自分のために仕事をしてくれる病理医がいい病理医」であり、「自分から見て尊敬できる病理医がいい病理医」であると公言する臨床医がいる。バカではなかろうか。そんなのは「いい病理医」ではなくて「都合のいい病理医」だろう。そこで起こっていることはコミュニケーションではない。便利な道具、もしくは便利な寄生先を探しているだけに過ぎない。本当のコミュニケーションとは、自分の都合や自分の脳内風景だけのために相手を利用することではなく、自分だけでは考え付かないことに思いを馳せ、自分だけでは達成できないことを達成するために、誰かと自分の「間」になにかを構築することだ。


教授である必要はないし下僕である必要もない。そこに自分とは違う専門家がいてくれたら、患者のためになるはずだという期待があればいい。その願いにボクトツに答えてくれる病理医はいっぱいいる。教授でなくても、下僕でなくても、である。