人間の体の中……というか体外との境界部分には、100%なんらかの菌がいる。かなりいっぱいいる。
しかし、病理検査で細胞をとってきてぼくら(病理医)が顕微鏡で見ても、それらの菌は見えないことが多い。
ああ、サイズ的に光学顕微鏡ならむりなんだね、と思った人はいるだろうか? そんなことはなくて、まあまあの顕微鏡を使えば普通に観察可能である。対物60倍レンズ×接眼10倍レンズで合計600倍くらいにすると、そこに菌がいればたいていわかる。菌の種類によるけど。
ではなぜ、ぼくらは普段ほとんど菌を見ないのか。
理由の一つとしては、「検体をホルマリンにじゃぼんとつけてしまう」というのがある。表面が洗い流されてしまう。
つまり、表面ではない部分に菌がいるとか、粘液などの中に菌が埋まっていて検体にぺとっとくっついているといった場合には、普通に菌が見える。
代表的なのはピロリ菌だ。胃にいるやつ。最近はだいぶ感染している人の数が少なくなってきたけど、まだまだいる。これらの菌は、胃粘膜の表面にくっついているのだが、粘液の中にはまりこんでいることがおおいので、ぼくらが顕微鏡を見るときに漫然と「すべての視野を丁寧に」探すのではなく、「あ、このふんいき、ここに菌がいそうだな」という場所をただちに見に行ってすかさず見つける、というイメージになる。
で、今日のブログは菌の話ではなくて、「だいたいこのへんにありそうだなというところをまず見に行く」という病理医のクセについての話なのである。
菌にしても、がんにしても、炎症細胞にしても、化生にしても、ぼくらは顕微鏡を見てすみずみまでくまなく探すというムーブよりも早い段階で、「あっこの雰囲気、この背景にこそアレがありそうだな」という目星をつけて一直線でそこを見に行く。そして実際に見つける。
さきほどのピロリ菌でいうと、菌体をきちんと確認したいときは400倍もしくは600倍まで拡大倍率を上げないとなかなかわからないが、実際には20倍や40倍くらいの「弱拡大」視野のときに、とっくに「あっこの検体、たぶんピロリ菌いるなあ」とわかっている。拡大を上げるのはあくまで「確認」が目的なのである。
顕微鏡診断ではそれくらい、「背景情報」が重要なのだ。異常な細胞はいるところにいる。いそうな場所にほぼいる。「ある」ではなく「いる」を用いてしまう(擬人化してしまう)のはあまりよくないのかもしれないが、細胞の異常は「(意図して)いる」としか言い様のないニュアンスでそこにあるのである。
でもぼくらは見落とさないこともだいじなアイデンティティなので、目的となる異常を見つけたあとに、ゆっくりと全体をくまなく見直すようにしている。この時点で非典型的な「ありかた」をしている異常を拾い上げる。万に一つのパターンで存在する異常を見逃してしまっては病理医を名乗れないからである。でもまあ先にメインと見つけておいたほうが気分的にはすごく楽だよ。