2023年8月2日水曜日

脳だけが旅をする

テラスを……照らす! をやりたかったのだがそもそもうちにテラスはなかった。朝起きてカーテンを開けようとするもカーテンレールのすべりが微妙によろしくない。湿気が高いのかもしれない。札幌の夏は基本的にカラッとしているのであまりこういう日は多くない。外を見るとはたして曇り空で、仮にテラスがあったとしても照らされなかったであろうふんいき。庭のきゅうりが少し湿気った空気の中で葉っぱをつやつやと輝かせている。今日は水やりはしなくていいかもしれない。どうせあとで降るだろう。テレビを付けて6チャンネルにする。onちゃん6ちゃんHTBである。イチモニをやっている。このへん特にどの局に思い入れがあるというわけではないのだがなんとなく最近はonちゃん6ちゃんにしている。天気予報を待っている。きのこの山のチョコを外したお菓子が期間限定で売られるのだというニュースをやっていた。


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> わりとどうでもいい <

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大谷翔平が5日ぶりにホームランを打ったというニュースをやっているが、大谷の場合、ホームランを打った日だけでなくその翌日のニュースでもホームランの話題が出たりするので、体感的にはほぼ毎日ホームランを打っている。5日も間が空くなんて、具合でも悪いのだろうか、と少し心配してしまったりする。テレビでは打球がバットに当たってからスタンドに入るまで3.99秒しかかかってないと言って盛り上がっていた。ふつうのホームランがそもそも何秒なのかがわからないのでその秒数がどれだけすごいものなのかピンとは来ないが、人間というのはおもしろいもので、「なんと3.99秒でスタンドイン!!」と言われれば、そうかすごいな、そいつは弾丸ライナーだな、と勝手に文脈を読みとる。この、「勝手に続きを引き取ってこちらで読みとってしまう能力」というのは、人間の脳が示す機能の中でもかなり高度な推論ではないか。なお、いちおう書いておくけれど、脳にかんしてはどんな雑な切り口でも「脳は高度な推論をやっている」と締めることで読む人が勝手に「おお、脳すげぇな」と納得してしまう。「スタンドインまで3.99秒」と「脳の高度な推論」はレトリックとして似ている。根拠がなくても、ボリューム感がなくても、こちらが「すごいだろ?」と書くだけで受け手が「それはすごいな」と勝手に盛り上がってくれる。だから脳にかんする記事を書くのは楽なのだ。


脳だけが旅をする。


飲食や雑貨、書籍などのポップに「大反響!」と書いてあるのを目にした。商品がどういいかを一切書かずに「売れてます!」と書くのが実際いちばん売れる。それにしても「大反響」というのはおもしろい表現だなと思う。反響が大きいというのはどういう意味なのだろう。反響が多い(多反響)ではなく大きいのだな。エコーでかえってくるものがでかいということはつまり、元々の声がすごく大きかったという意味になりはしないか。世の中からより大きな声がかえってきたよということが売り文句になっているけれどそれは結局売る側が大声で買って買って!と騒いだということの裏返しなのではないか。それはともあれ、「たくさんの人が受け止めてリアクションを返したすばらしいコンテンツです!」という売り方が本当に多くなった。「バズって売れる」なんてその最たるものだろう。たいていの人が想像するように、反響というのは必ずしもポジティブなものばかりではないのだが、炎上商法という言葉もあって、とにかく多くのリフレクタンスを得られればそれがヒットにつながっていく。これは売る側の都合というか感想であって、買う側にしたら、冷静に考えて、周りのみんなが反響を返したかどうかよりもまず自分にとっておもしろい/味わえるかどうかのほうが大切なはずだ。しかし言うまでもなくぼくらは「大反響!」を見てわりとあっさりその商品を試してみようという気持ちになる。大反響スマッシュブラザーズだったらもっと売れたのかもしれない。英語圏ではピンと来ないかもしれないが。


SNSは反響の場所である、発信ツールだと言ったり受信支援アプリと言ってみたりするけれど実際にやっていることの多くは反響させることなのだ。どこかの話題を打ち返す。3.99秒でスタンドに入れば気持ちいいだろう。でも実際にはキャッチャーフライだったりバックネット後方へのファールだったりする。うまくセンター前に抜けていけばよし、あるいは、ショートの正面に飛んで6,4,3のダブルプレーとなったとしても見るほうは盛り上がる。ノイズが次々と反射してプールサイドのような金属的な音が脳内に響き渡り、ドボンと水に潜ってみるとまた違う音が聞こえてくるんだけどそれも反響なのだ。自分も何かの「はね返し手」になれているだろうかということをしばしば考える。誰かに向き合う部分をつやつやに磨いて凹凸を取り除いておかないとうまく反射できない。一番つやつやしているのは眼球だろう。だからぼくらはよく、相手の顔を見て話を聞けと言われる。勘違いしてはいけない、相手の顔を見て話せ、なんてのは間違いなのだ。相手の顔を見たら話すな。聞け。聞いて反射するまででよいのである。