マリネもあきらかにマリマリ練ってる感じがするけどこれもぜんぜん関係ない。マリネはマリーネであり「海」くらいのニュアンスなのだそうな。酢とは関係ないんだな。
カルパッチョは命名がぜんぜんだめだ。軽くもないしパッチョくもない。
カルパッチョはぜんぜんだめだが、同じカルでもカルガモは許せる。普通の鴨より軽いんだろ? 検索をしてみた。「カルガモはマガモより小さくて軽いからカルガモ」ほらほら~~~~なんでコガモにしなかったんだろう~~~~あっ子と間違われるからか~~~~。
カルダモンはどうか。軽いんだもんという雰囲気がある。しかし検索してみると香りの王様とかスパイスの女王とか呼ばれているらしく(語源までたどりつくまえにそこがおもしろかった)、王と言ったり女王と言ったり忙しいなという印象が新たに付着した。ところで俳優と女優をわけるかわけないかみたいな話で、王と女王もこの先分けなくなっていくのかもしれないな。
カルガリーオリンピックではきっと軽々とメダルを取った選手がいるだろうと思って検索したら、こちら冬のオリンピックであり、跳躍系となると当然スキージャンプだろうと思って検索を続けると、日本選手でメダルをとったのは主にスピードスケートだけであった。スケートで軽々というのはちょっと合わないかなあ。太ももとかすごい重そうだしなあ。
このように、まとまった記事を書くほどのモチベーションがさほどないとき、あれについて短く書き、そこからつながるそれについてさらに書き、ぎりぎり連想できそうなこれについても書き、と紙幅を埋めていくやり方があると思う。椎名誠が「新宿赤マントシリーズ」でよくやっていた。
毎週なにか商業レベルのことを書かなければいけない人の大変さを思う。燃え殻さんはSPA!から新潮へ場所を変えつつ、延々と毎週更新を続けている、ほんとうに偉い、毎回「捨て記事」になっていなくてきちんといつもおもしろいから心底尊敬する。
ところで大学時代に飲み屋で誰かと会話していたころ、ヤマやオチがあるサーガを用意して「これを語るぞ」と意気込むとむしろ興ざめであった。「語りたいんだね~」と突っ込まれたりもした。そういうのは文章でやるからいいのだ、会話でやることではない。
だらだらと繰り広げられる連想の渦にのっかって流されていかないと場の空気に自分をマージできない緊張というのは大阪文化圏の人がよく指摘する。自分がその場にいていいと承認を受けるために必要な手続きとしてのボケ→ボケ→ボケの連鎖というのがある。
飲み屋での体験がその後何かの役に立ったかというと、まったくそんなことはひとつもなくて、しかし当時、たしかにぼくは「いていい」という気持ちを得ていたのだと思う。今日こうしてブログで芋づる方式の連想をつらつら書いて記事にしてしまうとき、なぜか大学時代のラムコークやらタバコやらの臭いを思い出すことがある。思索を浪費することでなんらかの癒やしを得ようとする本質がぼくの中にあるのかもしれない。