ちょっと短めに書く。
このブログでは「病理の話」とそれ以外の話を交互に書いており、土日祝日・12月30日~1月3日くらいにお休みしてあとは平日の朝5時~6時に更新している。記事を書くのはだいたい公開の1週間くらい前で、ストックが5本を切らさないようになるべくしているが、たまにゆるんで残りストックが3本くらいになったときはがんばって1日に3本とか書いて元に戻している。
このペースでブログを続けられているのは、ひとえに、「病理の話」という専門性縛り記事と、「フリー」の記事とを交互に書いているからだ。
病理に関連する話だけを毎日書いていたらたぶん半年くらいでしんどくなっていたと思う。
フリーのほうにも言えることだ。ぼくはもともと20歳くらいからホームページの更新をずっとやっていたのだけれど、毎日更新はしんどいので3日に1度くらいのペースで記事を書いていた。つまりはそれが随意に筆を走らせるときのぼくの適度な間なのだと思う。フリーだけでブログを更新していたらもう少しはやめに飽きていただろう。
どこかに歩いて行くときにぼくらが基本的に2本の足を使っているということを思い出す。さまざまな進化のかたちがあったはずだ。蛇のようにいざりいざりと這い進んでいくこともできたろうし、タコのように数本の足でうねりうねりとぬめ進んでいくこともできたろう。昆虫、イヌネコ、クラゲ、火星人。移動に用いるデバイスの数にはさまざまなバリエーションがある。そして人間はたまたまこうして2本の足を交互に動かすことで移動を細やかかつフレキシブルに行える。持続力もすごい。ほんらい生命というものは、訓練したからといって42キロとか100キロとか走れるほどのエネルギー効率を有さないはずなのだ(大移動する生物が非常に少なく例外的であることを考えてほしい)。なのに2本足でそれをやってしまうというのは、つまり、人間が神様に設計されているからとかいうのではなしに(まあ最終的にはそうなのかもしれないけれど)、持続的に何かを動かす上で「交互」というシステムが運動量的にも熱力学的にもすぐれているから、適者生存のことわりの中でしっかりとそこに収斂していった、ということなのではないかと思う。
何かを書くときのぼくも結局この「2本足を交互にはこぶ」というシステムに落ち着いている。なんというか、脳内のエネルギーをほどよく消費しながら遠くまで一歩一歩足を進めることにあまり苦を感じていないのは、たぶんそういうエネルギー効率的にこのやり方がいちばんいいからであって、そうか、このブログというのは徒歩の旅なのだ、ということを考える。だいぶ短く書いた! これでも1本の記事なのだから気楽な旅である。