うーん、なんていうかな、「高位の存在によって考え抜かれている」っていうニュアンスでとらえるといろいろ腑に落ちる感覚もなくはないんで、ついこういう言い方をしてしまいますけどね、実際には、長い時間が生命という存在を研磨した……というか、「このような複雑な細胞配置と相互作用を一定の期間に安定させることで、生命が生命として維持できた」というか、「この組み合わせのもとでエントロピーが増大しない系が持続している」という感じです。今書いたことはぜんぶいっしょのことです。「神様的な存在がそのように定めた」と言い表すことで理解しようとするか、「選択圧の末にそういう系が残存した」と考えるかの違いですね。そういう違いでしかない、とも言えるけどちょっとらんぼうかな。
ともあれ、人体には秩序があるんですよ。ではその秩序、どうやって保たれているか。これがけっこう難しくて、複数のイメージで考える必要がある。
まずは……ケミカルな部分から行きましょう。
レモンがすっぱい、パイナップルで口の皮がちょっとだけ溶ける、みたいに、自然界には酸性の物質とかアルカリ性の物質とかが、たくさんあります。ある液体の中に、どのようなモノが溶け込んでいるかによって、酸性だとかアルカリ性といった性質が決まります。酸性度が違うと何が起こるかっていうと、溶液中での化学反応が進んだり進まなかったりする、そこが重要なんですね。
化学反応です。ケミストリー。理科の実験です。フラスコ。ビーカー。アルコールランプ。水上置換法。いろいろやったでしょう。あの先にある話ですよ。
あるものが違うものにかわる、とか。二つのものがくっついて一つになる、とかね。電気が発生したり、塩分が沈殿したり、燃えて光が出たり。なんとなく覚えているでしょう。私も全部は覚えていないんですけど。理科です。
「ものが化ける」反応は、体の中でも常に起こっています。そして、うまいこと、必要なものが必要なだけ生成され、要らないものがその都度分解されていくことで、人体は長く安定して保たれる。
となると、人体が人体であり続けるためには、何が必要だと思いますか?
酸性とかアルカリ性のバランスがある程度狭い範囲で保たれている必要があるんです。
生きるための化学反応がいい感じで起こるように調整されているべきである。
でね、化学反応ってのはね、いったんはじまると再現なく最後まで進んでいってしまうタイプのものと、いったりきたりをくり返して「平衡」に達するタイプのものがあるわけです。
薪をあつめて燃やすなんてのはあれ、一方通行です。燃え始めたら灰になるまで止まらない。
人体にもそういう仕組みはあります。糖分をほどよく分解してエネルギーを取り出して細胞の活力にする、みたいなのは、わりと一方通行でガンガン進んでいく。このとき酸素もたいてい必要になります。
で、これだと、常に薪をくべていないと火は消えてしまう。だから人間ってのは毎日ごはんを食べないといけないし、四六時中呼吸をしていなければいけない。
しかしね、人体の全ての反応が、「火が燃えるように一方通行」だと大変なんです。ありとあらゆるものを補充しないと保てないから。
そこで、一方通行なだけじゃなくて、安定していったりきたりをくり返している部分ってのもきちんと用意されているんです。そういった部分には、「まわりの環境にあわせて、あたかも柳の枝のように、ゆるゆるとストレスを受け流すような化学反応」が潜んでいます。「平衡」を保つしくみ。
ここで活躍するのは「緩衝液」です。高校のときの知識を覚えている人は思いだしてください。忘れた人は……そうね、溶液をなんかうまいバランスに整えると、そこに多少酸やアルカリを加えても、なんかうまいことバランスとってpHがあまり狂わなくても大丈夫になる、「不思議溶液」のこと。
人体には、外界からくる刺激をうまく受け流すシステムがいっぱいあるんですよ。
今はケミカルを例にあげたけれど、フィジカルな部分でもバランスはいっぱいあります。
たとえば、腕には二頭筋と三頭筋ってのがあるでしょう。力こぶのほうと、遠くに向かって手を振るとプルプルふるえるほう。これらは対立関係にあって、かたっぽが収縮するともう片方は伸びます。両方がほどよく引っ張りあうことで、「ほどよい場所」に腕が落ち着くようにできていますね。これ、バランスですよね。
ほかにも、腸の筋肉なんてすごいんですよ。腸を輪っかのように取り囲む内輪筋と、縦方向をちぢめようとする外縦筋とがあってね。内輪筋がしぼりこめば、腸の中のスペースがほそーく、狭くなって、ただし腸自体は長くのびるわけです。イメージできます? 巻き寿司を押しつぶしたらお米が長軸方向にムニュって伸びるでしょう。
で、逆に、巻き寿司の断面の部分を手で抑えてフンッってつぶしたら、こんどは、巻き寿司の断面は広がるじゃないですか。
腕の二頭筋と三頭筋の関係といっしょなんですね。内輪筋と外縦筋は互いにバランスをとっている。
腕の二頭筋と三頭筋が交互にちぢめば腕はフンハフンハと曲がったり伸びたりします。腸の内輪筋と外縦筋が交互に縮むと腸はフンハフンハとシャクトリ虫みたいにうねるんです。「ぜん動」ですね。
まだまだいっぱいあるんですよ。バランスは。酸素分圧もそうだし、体温もそう。常在菌と免疫の関係もそうだし、細胞の増殖活性と寿命(新陳代謝)だってバランスなんです。
これらがぜーんぶいっぺんに保たれているのが生命。ときどきあちこち崩れつつも、がんばって元に戻す仕組みをはたらかせているのが生命。病理学用語で「ホメオスタシス」といいます。恒常性の維持。同じ状態であり続けること。そのために、いったりきたり、平衡を保ち、バランスをとり続けること。病理学で一番さいしょに習う用語の話でした。これまでいくつかの本に書いてきた内容だからまあくり返しなんだけど、同じ事を何度もくり返すというのもある意味、メタ的に、生命っぽい。